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美術館訪問記−614 宮城県美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:宮城県美術館正面

添付2:宮城県美術館内部

添付6:中村彜作
「帽子を被る自画像」

添付7:佐藤忠良記念館内部

山形県の東、岩手県の南には宮城県があり、県庁所在地は仙台。

東北地方唯一の政令指定都市で人口約109万人。東北地方最大の都市でもあります。

仙台市の西側、市の中心を蛇行して貫通する広瀬川に囲まれるようにしてあるのが「宮城県美術館」。前川國男の設計で1981年開館。1990年には別館の佐藤忠良記念館が開館しています。

世界中どこでも大都市には大美術館がつきものですが、ここは地元である宮城県および東北地方に縁の深い作品収集をテーマとしているためか、海外作品は乏しく、国内作品コレクションも東北一とは言えません。

その中で異彩を放っているのが「洲之内コレクション」。

美術ファンなら「気まぐれ美術館」「絵のなかの散歩」「帰りたい風景」の新潮文庫三部作を読んでいない人は少ないでしょう。

もし読まれていなければ是非お読みください。小林秀雄や青山二郎、白洲正子などがなぜ洲之内を「最高の美術評論家」や「当代きっての目利き」などと呼んだかが納得されるでしょう。

これらの著者で美術評論家でもあった洲之内徹(1913-1987)は、銀座にあった「現代画廊」の経営者でもあり、多くの新人画家や物故画家を発掘しましたが、苦しい画廊経営の間でも本当に気に入ったものが手に入ると手元に残し、客には売らなかったので、それらを買いたい客とよくもめたのだとか。

洲之内が突然倒れ、意識不明のまま亡くなった時、彼の安アパートには洲之内が「いい絵とは、盗んでも欲しくなる絵だ」とまで言って集めた絵画、彫刻、版画146点が残されており、それらがそっくり宮城県美術館に所蔵され、その一部を定期的に入れ替えながら常設展示されています。

展示作品どれもが愛おしく、私も可能なら手元に置きたくなるようなものばかりですが、その内から数点選んでみましょう。

先ずは洲之内が彼の随筆で何度も採り上げ、無名だった彼を愛好者の多い画家に仕立て上げた、長谷川麟二郎の「猫」。

洲之内によれば、長谷川麟二郎はこの絵に6年もかけたという。長谷川は「猫がおとなしく座っていてくれないと描けない。こういう恰好で寝るのは年に二回、春と秋だけで、だからそれまで待ってくれ」と言ったのだとか。

漸く手に入れた絵にはどういうわけか右側の髭がない。しかし洲之内はその事を尋ねなかった。下手なことを言ってまた何年も待つ事になったら大変だったから。

長谷川は「よい画はその周囲をよい匂いで染める。よい画は絶えずよい匂いを発散する。よい匂い、それは人間の魂の匂いだ。人間の美しい魂の匂い、それが人類の持つ最高の宝である」と書いています。

長谷川麟二郎の「薔薇」。洲之内はこの絵を骨董店で見つけ、額縁を買うぐらいの値段で購入したという。当時長谷川の知名度はそれ程低かったのです。

海老原喜之助の「ポアソニエール」。意味はフランス語で魚売りの女。

戦時中、中国で関東軍の情報活動に従事させられていた洲之内は「心が思い屈するような時、私はふと思いついて、友人の画集にある「ボアソニエール」を見せて貰いに行くのであった。こういう絵をひとりの人間の生きた手が作り出したのだと思うと、不思議に力が湧いてくる。人間の眼、人間の手というものは、やはり素晴らしいものだと思わずにはいられない。美しいものが美しいという事実だけは疑いようがない」。

そう書いた洲之内は戦後画廊の主となり、「平民宰相」として知られた原敬の息子、原奎一郎と出会い、訪れた鎌倉の別荘の蒐集品のなかに偶然「ポアソニエール」の実物を見つけた驚きは、想像を超えるものがあったでしょう。

手放す気のない原を説き伏せるまでにどれほどの歳月がかかったのか。ようやく承諾を得た洲之内はその場で作品を風呂敷に包み、折からの豪雨をついて逃げるように鎌倉を後にしたのでした。

中村彜(なかむらつね)の「帽子を被る自画像」。

洲之内曰く「中村彜は光の描ける画家なのだ。(中略)だから描かれたものに実在感がある。物が存在する」。

もう一つの柱、佐藤忠良は1912年宮城県の生まれで、6歳で父が死去したため幼少期は母の実家である北海道で過ごし、1932年画家を志し上京しますがロダン、マイヨールなどの彫刻に感動し、1934年東京美術学校彫刻科入学。

そこで出合った舟越保武と終世の友情を結び、二人で戦後の日本彫刻界を牽引していく存在になっていったことは前に書きました。

佐藤の作品は大部分が人物像であり、身近な人物をモデルにした生命感溢れる頭像、清新な女性像、純真無垢な子供の像、そして少数の動物たちのブロンズ像を創り出しています。

1981年にはパリの国立ロダン美術館で日本人初の個展を開催するなど国際的にも高い評価を得ますが、本人は「職人に勲章は要りませんから」と語り、日本芸術院会員推薦や文化勲章など国家の賞を全て辞退し、2011年死去。

ここの佐藤忠良記念館には、佐藤が生まれ故郷の宮城県に寄贈したブロンズ彫刻、石膏原型、素描、収集した美術作品などが所蔵されており、その後の寄贈や購入により現在その総数は約2500点に達しています。

宮城県美術館の敷地内には広々とした庭があり、佐藤忠良の作品をはじめとした多くの彫刻が配置されていました。



(添付3:長谷川麟二郎作「猫」、添付4:長谷川麟二郎作 薔薇」、添付5:海老原喜之助作「ポアソニエール」、添付8:佐藤忠良作「帽子・夏」 および 添付9:佐藤忠良作「空よ」は著作権上の理由により割愛しました。
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