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美術館訪問記ー612 酒田市美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:酒田市美術館俯瞰図 写真:酒田市美術館ホームページ

添付2:酒田市美術館中庭

添付3:酒田市美術館内通路

添付4:森田茂展示室内
写真:美術手帖

山形市の北西87㎞程のところに日本海に面して酒田市があります。

人口10万人足らずで山形、鶴岡に次ぐ人口では山形県第3の都市です。ここに「酒田市美術館」があります。1997年開館。

市の中心とは最上川を挟んで向き合った小高い丘にあり、鳥海山、最上川、そして酒田市街地を一望できる敷地面積約3万㎡、施設面積約3千㎡の、広大な敷地内にゆったりと立つ景観を生かした美術館です。

広い中庭には緑と青空の間に安田侃の白い翼のような彫刻が見えます。

内部は平屋で展示室5部屋の敷地の割には比較的小振りな美術館。ただ5部屋目の展示室は細長い通路で結ばれており、その通路やロビーにも彫刻作品などの展示がありました。

コレクションの中心は、牧場経営で財を成した酒田市出身の新田嘉一が美術館開館の礎として1992年に寄贈した油絵84点、日本画22点、版画等7点の計113点もの作品。

中でも柱となるのは山形県鶴岡市の黒川能の描写をライフワークにした洋画家で文化勲章を受章した森田茂(1907-2009)の35作品。

「黒川能」は,羽黒山近くの神社の神事能として氏子たちの手で500年もの間守り受け継がれてきたものです。

森田茂は60歳頃から,自らも能の稽古に打ち込むようになります。

「実際に自分で演じて役者の呼や間の取りかたを感じとってみなければ,能の本当の姿はわかるまい。それがわからなければ,人に感動を与える作品はできないのだ」というのは森田の画家としての気魄の伝わってくる言葉です。

また,次のようにも述べています。「絵画とは,その作者の精神の表現だと思う。だから,そこに感動や熱情が表現されなければ,見る人の心をゆさぶるようなものはできない」

新田がその作品を観て感動し、以後「自分あっての森田で、森田あっての自分だ」と言うほど肝胆相照らす仲となり、スポンサーとして収集を続けたようです。

美術館には森田のために一室あり、森田の言葉を具現化したような厚塗りでカラフルな、彼の熱情がほとばしるような作品が並んでいました。

もう一つの柱は高橋剛の彫刻作品。

高橋剛は1921年酒田市の生まれで、生家は代々神社仏閣の木彫を業とし、東京美術学校彫刻科を卒業後、バレエダンサーや裸婦像の制作を中心にし、日展、日彫展で活躍。

1985年、第17回日展に出品した「稽古場の踊り子」で日本芸術院賞・恩賜賞を受賞しています。

1991年、70歳を機に、故郷の芸術文化の振興のため彫刻作品の石膏原型178点を酒田市に寄贈しましたが、その3ヶ月後、死去。

酒田市では、寄贈された原型をもとに、鋳造を行って来ており、これらが酒田市美術館の主要な常設展示作品となっています。

他にも岩手県美術館で詳述した舟越保武の「原の城(切支丹武士の最期)頭像」や藤田嗣治や加山又造の版画などが展示されていました。

ここも撮影禁止で展示作品の写真は美術館のホームページからの借用です。



(添付5:森田茂作「黒川能(石橋)」、添付6:森田茂作「松林富士」、添付7:高橋剛作「稽古場の踊り子」、添付8:高橋剛作「開演前(瞑想する踊り子)」 および 添付9:舟越保武作「原の城(切支丹武士の最期)頭像」は著作権上の理由により割愛しました。
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