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美術館訪問記- 603 秋田県立美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:秋田県立美術館正面

添付5:秋田県立美術館ミュージアムラウンジからの眺め

添付6:秋田県立美術館内部

秋田県秋田市、秋田駅も近い中心街に、旧久保田城のある千秋公園とはお堀を挟んで「秋田県立美術館」があります。

第5回で紹介したアメリカ、ウィリアムズタウンにあるクラーク美術館やセントルイスのピューリッツァー美術館、フォートワースの現代美術館、ドイツ、ノイスのホンブロイッヒ・ランゲン美術館など多くの美術館を手掛けた安藤忠雄の設計で2013年に開館しています。

ただこれは新館で、旧館は1967年、平野政吉美術館として千秋公園内に設立されています。

秋田有数の資産家だった平野政吉は美術愛好者で、1933年帰国していた藤田嗣治と親しくなり、藤田が同伴していた4番目の妻マドレーヌの急逝にともない、その鎮魂のために美術館の建設を構想。

同意した藤田は自作を多数譲渡し、秋田で美術館の核となる大壁画を手掛けます。

平野に世界一の絵を描いてくれと言われた藤田は、単に大きな絵ということなら後に抜かれるかもしれないので、誰にも真似できない速さで描こうと約束し、365cm×2050cmの巨大な絵をたった15日間で描きあげたといいます。

ただ藤田は取材に約半年をかけており、構想がまとまってからは平野家が所有する蔵をアトリエに1937年、一気呵成に仕上げたのでした。この時、藤田は前年、25歳年下の君代夫人と5度目の結婚をしていました。

「秋田の全貌」というテーマで製作されたこの絵は、画面右から日吉八幡神社の秋の例祭、大平山日吉神社の春の梵天奉納祭、夏の笠灯、冬の日常風景が展開し、橋が日常と祝祭の境界となっています。

しかし、戦時下、美術館の建設は中止され、約30年後、財団法人平野政吉美術館として開館、その年の内に秋田県立美術館となります。

美術館2階に、3階まで吹き抜けのの大ホール正面に「秋田の行事」と題されたその大壁画が展示され、絵の隅に「174時間で完成」と藤田の署名がありました。

この大壁画は3階のバルコニーから全貌を遠望できるようにもなっていました。

展示室は2階に大部屋1、3階に2部屋だけのこぢんまりした美術館ですが、日本画、素描、版画を含めると105点もの藤田嗣治作品が所蔵されているとかで、訪れた日にはマドレーヌをモデルに描いた「眠れる女」も展示されていました。

1936年、マドレーヌが急死した後、藤田が列車で秋田入りする折に、この作品を抱きかかえていたというエピソードが伝えられています。

同じ年に描いた「自画像」もありました。

江戸情緒が残る四谷左衛門町の借家での自画像で、妻マドレーヌの急死で揺れ動く藤田の不安定な心情が、雑然と置かれた家具、弛んだ姿勢、挑むような視線などに投影されているかのようです。

他にも藤田の油彩画2点、素描5点、版画類18点が展示されていました。

館内2階には、ショップやカフェを備えたミュージアムラウンジがあり、「水の安藤」の綽名通り安藤忠雄設計の満々とした水庭越しに隣接する千秋公園の四季を一望できます。

なお公園右端の寺のような建物は旧秋田県立美術館(平野政吉美術館)。

秋田県立美術館は支柱のない螺旋階段や、三角形の吹き抜け空間になっているエントランスホールなど、建物自体も大きな見所となっていました。

この美術館は展示室内は撮影禁止で写真は美術館のホームページからの借用です。



(添付2:藤田嗣治作「秋田の行事」、添付3:藤田嗣治作「眠れる女」 および 添付4:藤田嗣治作「自画像」は著作権上の理由により割愛しました。
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