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美術館訪問記- 599 アングラドン美術館、Avignon

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アングラドン美術館入り口

添付2:アングラドン美術館内部

添付3:モディリアーニ作
「ピンクのブラウス」

添付5:ゴッホ作
「アルルの貨物列車」

添付6:セザンヌ作
「砂岩製のポットのある静物」

添付7:シャルダン作
「エイと玉葱のある静物」

添付8:シャルダン作
「赤エイ」 ルーヴル美術館蔵

添付9:ジャン・アングラドン=デュブリュジョー作
「静物」

アヴィニョン旧市街の中心を少し入った路地に面して静かな佇まいの「アングラドン美術館」があります。

1694年建造という貴族の館を改造した3階建ての建物が美術館となっています。

服職業で財をなしたパリ在住の美術コレクター、ジャック・ドゥーセ(1929年死亡)のコレクションを引き継いで拡大した、彼の甥でアヴィニョン在住の画家、ジャン・アングラドン=デュブリュジョーが、設立した財団に、自宅を含む全てを遺贈してできたもので、1996年開館。

18世紀半ばから20世紀半ばまでの多彩なコレクション。2階の各部屋は大富豪の富を受け継いだ男の部屋らしく貴族の館のようでした。

1階にはエコール・ド・パリの画家たちが展示されていました。モディリアーニの「ピンクのブラウス」は美術館の看板にも使われている文字通りここの看板作品です。

この絵はモディリアーニの死(1920年)の数か月前に描かれていますが、彼の晩年の作としては珍しく、何の誇張や抽象化もされず、アーモンド形の目ではなく、瞳もきちんと描かれ、頭も傾けず、首がやや長い以外は、全てが写実的に描かれています。

成人女性の肖像画は黒やブルー、グレーの暗い感じの服装が多い中でピンクのブラウスというのもこの作だけですし、足を組んでいるのもこれだけという、何から何まで例外づくめの作品です。

藤田嗣治の自画像2点もありました。1917年の作で、1913年に渡仏した彼が第一次世界大戦勃発で仕送りも途絶え、絵も売れずで、隣に住んでいたモディリアーニ共々、貧困にあえいでいたのが、ドイツ軍の退却で漸く一息ついて、絵も少しずつ売れ出した頃でした。この年、初の個展を開いています。

しかし「藤田の白」と言われた彼独自の女性像開眼までには、あと4年程あり、この絵も金地を使用し、髪もおかっぱ頭、当時の男性としては異例のイヤリングを着けた姿で、何とか独自色を出そうと奮闘していた様子が窺えます。

1921年のサロンで絶賛を博し、パリの寵児と謳われた頃には、ロイド眼鏡とちょび髭で、彼自身の姿も変わっていましたが。

ゴッホの「アルルの貨物列車」がありました。彼が船や馬車を描いた作品は観ていましたが、列車を描いていたとは知りませんでした。落ち着いた明るい感じの絵で、まだゴーギャンと共同生活を始める前でアルルの陽光の下、精神も安定し、昂揚してもいたのでしょう。

ちなみにプロヴァンス地方でゴッホ作品があるのはここだけです。

セザンヌの「砂岩製のポットのある静物」も、1874年作という第1回印象派展と同じ年に描かれた作品ながら、ナイフの柄の部分を半分テーブルから出すという絵画の伝統を踏まえつつも、清々しい色彩のバランスと、構成的なセザンヌらしい構図で、早くも印象派からの決別を告げているのでした。

食卓のある静物画ではナイフの柄の部分を半分テーブルから出すという西洋画の伝統の創造主であるシャルダンの「エイと玉葱のある静物」もありました。

その伝統の端緒となった「赤エイ」は、1728年に、王立絵画・彫刻アカデミーの入会選考作品として提出され、同日異例の早さで正式な会員として認められた作品としても名高く、本作に表現される静物画における躍動性や力動性は静物画家としてのシャルダンの評価と地位を決定付けたものでした。

ジャン・アングラドン=デュブリュジョーの絵も3点、展示されていました。これといったパンチはないものの、無難な作風です。

他にもドーミエやマネ、ドガ、シスレー、ルドン、シニャック、ヴュイヤール、ドラン、ピカソ、カッリエレ、ローレンスなどの作品が目白押し。個人美術館としては質が高い。



(添付4:藤田嗣治作「自画像」は著作権上の理由により割愛しました。
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