前回のアヴィニョン教皇庁宮殿前の広場からなだらかな坂を上がった突き当りにあるのが「プティ・パレ美術館」。
プティ・パレとは小宮殿という意味で、1317年に建てられた枢機卿の邸宅を15世紀末にルネサンス様式に改装した宮殿で、1976年、美術館として開館しました。
13世紀から16世紀までの美術に特化しており、600点の彫刻に加え、所蔵する390点の絵画の内325点がイタリア絵画で、これだけまとまった数の初期イタリア・ルネサンス絵画が見られる美術館は、フランスには他にありません。
3階建ての美術館内部は、小部屋と階段が複雑に組み合わされた進路構成になっており、要所要所にスタッフがいて親切に案内してくれました。
イタリア絵画だけでも130人の画家の作品が網羅されているので、絞り込むのは難しいのですが、目に付いた作品を幾つか採り上げてみましょう。
先ずは「14世紀ヴェネツィアの最重要画家」と言われるパオロ・ヴェネツィアーノ。この優美な「聖母子像」を観れば、その評価に反対する人はいないでしょう。1345年頃の作とは信じられないような保存状態の良さにも驚きます。彼については第406回を参照して下さい。
同じ14世紀のシエナの最重要画家と言えばタッデオ・ディ・バルトロ。1363年頃シエナの生まれで、1389年頃シエナの芸術家組合に入り、1390年ピサの聖パオロ教会の祭壇画に署名しているのが今に残る最初の作品です。
痩せ気味の聖母を優雅に描くスタイルはシエナの先達、シモーネ・マルティーニやアンブロージョ・ロレンツェッティの影響を感じさせますが、シャープな描写と鮮やかな色彩、より人間味のある表現は彼独自のものです。
ここにある「聖母子」は1400年頃描かれたものですが、先達よりも華やかさがあり、彼の特徴がよく出ていると思います。1422年、シエナで没しています。
時代は下りますが、サーノ・ディ・ピエトロが1450年頃描いた「受胎告知の天使」も華やかさでは負けていません。
彼も1406年シエナの生まれで、1428年にはシエナの芸術家組合に登録され、大工房を構えて作品を量産しました。彼の色遣いの鮮やかさは誰しも認めるところですが、問題は彼の筆がどれぐらい入っているかです。
同じ問題は、成功した画家、ラファエロやルーベンスなど、に常に付きまといます。需要に供給が追い付かず、弟子や助手が大半を描いて、本人は仕上げの筆を入れるだけということも多かったのです。
この絵は大部分をピエトロが描いたと考えられていますが、普通は聖母マリアの純潔を象徴する白百合を持っている大天使ガブリエルがオリーブの枝を持っているのはおかしいと思われる方もいるでしょう。
実は白百合はフィレンツェの街のシンボルであり、長年フィレンツェと戦って来たシエナとしては敵国のシンボルを持たせるのが片腹痛く、平和のシンボルであるオリーブの枝を代わりに持たせたのでした。
そのフィレンツェ絵画を代表するボッティチェッリの「聖母子」もありました。
1467年頃の作で、ボッティチェッリ22歳頃という、師匠のフィリッポ・リッピの影響が色濃い作品ですが、遠近法を際立たせるアーチや,どこか憂いをおびた聖母の表情は後のボッティチェッリを予感させるものです。
ヴェネツィア出身のカルロ・クリヴェッリの「四聖人」やヴィットーレ・カルパッチョの「聖会話」も見逃せません。
特にカルパッチョの「聖会話」の背景の岩石橋の奇抜さと精密な町や山の描写、幾何学的な厳密さ、微妙な光の巧みさなどは瞠目に値します。
アヴィニョンは14世紀に教皇庁が置かれた際に、その装飾のためにイタリアからシモーネ・マルティーニを始めとする多くの芸術家が招かれ、その影響を受けてアヴィニョンにも多くの画家が生まれ、アヴィニョン派と呼ばれましたが、彼らの作品も多く展示されていました。尤もその多くは作者不詳となっていましたが。
アヴィニョン派の代表格とされるジョス・リーフランクスの「受胎告知」を添付しましょう。光で区切られた立体感のある描写、簡素で厳密な構造、温かみと深い人間性の感覚という、アヴィニョン派の特徴が見て取れます。