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美術館訪問記- 596 サンテティエンヌ大聖堂、Auxerre

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サンテティエンヌ大聖堂正面

添付2:ジョット作
「聖ステファノ」
フィレンツェ、ホーン美術館蔵

添付3:サンテティエンヌ大聖堂タンパン

添付4:サンテティエンヌ大聖堂内部

添付5:ステンドグラス

添付6:柱頭彫刻の一例 写真:Creative Commons

添付7:クリプト内部

添付8:フレスコ画「白い馬に乗るキリスト」

添付9:フレスコ画「栄光のキリスト」

パリの南東150㎞足らずの所に、古代ローマ人が城郭都市として築き,ローマ公道上の町として古くから交通の要衝であった古都オーセールがあります。

この街の中心にあるのが、「サンテティエンヌ大聖堂」。

11世紀に建てられたロマネスクの大聖堂が1215年に壊れ、11世紀のクリプトの上に13-16世紀に建てられたこの大聖堂はブルゴーニュ地方ゴシック様式の代表作。

サンテティエンヌは聖エティエンヌを意味し、聖ステファノのフランス語名です。聖ステファノは何度も名前を出しましたが、まだ説明していませんでした。

ステファノは、新約聖書の「使徒行伝」に登場するユダヤ人キリスト教徒で、ギリシャ語を話すユダヤ人。

天使のような顔を持ち、「不思議な業としるし」によって人々をひきつけたため、これをよく思わない人々によって、彼が神殿を破壊しようとしているという偽りの罪を着せられ、衆議会の裁判に連行されます。

ステファノは弁明し、イスラエルの人々が神にしてきた過ちを堂々と述べたので、聞いた議員たちは怒り、ステファノを冒涜者として、石打ちの刑にしたのです。

ステファノは、石打ちに遭いながらも「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と言って息絶えます。ステファノという名は、ギリシャ語で「冠」という意味で、その名にふさわしくキリストの名のために殉教の冠を受けたのでした。

彼の死は西暦33年のことで、キリスト教最初の殉教者になります。以後彼を示す絵には頭に石を乗せた姿で描かれるのが一般的です。

大聖堂のファサードは、三分割の左側部分は高さ68mの塔が付き、中央部、右側部と屋根が低くなって行く珍しい形状。

三分割されたファサードのそれぞれに扉が付き、いずれもタンパンに浮き彫りがあり、中央扉上のタンパンにある浮き彫りは緻密で規模が大きい。

タンパンに描かれているのは「最後の審判」。キリストの両側で跪いているのは聖母マリアと洗礼者ヨハネ。首が取れているのでどちらが聖母でどちらがヨハネだかわからないです。

1789年に勃発したフランス革命の際、興奮した民衆によって多くの教会の彫像の首が切り落されたのでした。

内部は思いの外広く、色彩鮮やかなステンドグラスも素晴らしい。柱頭彫刻も面白いものが多い。

宝物展示室脇の扉からいったん外に出て階段を降りるとクリプトがあります。天井は低く薄暗い。奥の祭室の半円形の天井に12世紀前半作のフレスコ画「白い馬に乗るキリスト」があります。

白馬に乗ったキリストを馬上の四天使が囲むという珍しい図柄。他で観た記憶がありません。

幸い他に見物客はいなかったので床に寝そべって写真を撮りました。茶色、薄茶色、白色のみですが、着色も鮮やかに残っています。

正面の壁には13世紀の作という、少し近代的になった「栄光のキリスト」のフレスコ画がありました。