サン=ラザール大聖堂の北側に隣接して「ロラン美術館」があります。
ロランと聞くと古典絵画愛好者はヤン・ファン・エイクの名画「宰相ロランの聖母」を思い浮かべるでしょう。
現在はルーヴル美術館にあるこの傑作は、宰相ロランが生まれ故郷のオータンの大聖堂に寄贈するために描かれたものなのです。ルーヴル美術館創立後にルーヴルへ移されてしまいましたが。
室内にいる聖母子像と寄進者(この絵では宰相ロラン)という心温まる形式は、ヤンのつくり出したものでした。
ロラン美術館の建物はヤン・ファン・エイクが使えたフィリップ善良公の治めるブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロランの邸宅だったのです。
ニコラ・ロランは、宰相として40年間もフィリップ善良公に仕え、百年戦争を終結に導いた「アラスの和議」を取りまとめた傑物として知られていますが、晩年はオータン近くのボーヌに今も残るオテル・デューという慈善病院を建設して貧民救済にあたったことでも有名です。
美術館に入ると、館内で写真を撮る場合は、入館料とは別に撮影許可料が必要と言います。旧共産圏諸国では珍しくない仕組みですが、フランスでは初めてです。
館内は受付がある棟と一旦外に出て、中庭を抜けて入る棟に分かれています。前者は主に発掘品などの考古品展示で、後者は絵画作品を展示していました。
考古学的発掘品は、神々への奉納物・碑文やモザイクが並びますが、中では「ベレロフォンのモザイク」が群を抜いています。
ベレロフォンはギリシャ神話に登場するコリントスの王で、神馬ペーガソスに跨って、怪物キマイラを退治した英雄です。
オータン近辺の教会や修道院が所蔵していた美術品も展示されていましたが、元はサン=ラザール大聖堂にあった「イヴの誘惑」が目を惹きます。
このレリーフは、1130年頃、ジルベールによって制作されたと考えられており、ロマネスク彫刻史において、最も初期に制作された裸像の一つです。
この主題は蛇の誘惑に負けて、イヴが禁断の木の実を取ろうとしているところです。イヴは横たわり、左手で原罪を象徴する禁断の果実を掴み,身体をくねらせ、まさにこの瞬間に罪を犯そうとしています。
右手を頬に当てた彼女の官能的な表情から、彼女の顔の正面には、対となるアダムのレリーフが存在したと想像されますが、残念ながら、アダムの彫刻は、未だ発見されていません。
そもそも、イヴのレリーフ自体が、1910年に改築中の家の壁から見つかったのです。何と大聖堂の入り口付近にあったレリーフを含む石材は、1766年に分解され、近隣の家の建設資材として売り払われていたのでした。
絵画部門では、ジャン・エイの「ジャン・ロラン枢機卿のキリスト降誕」が光を放っていました。ジャン・ロラン枢機卿は宰相ニコラ・ロランの息子で、1449年に枢機卿となり、1436年以降、終生オータン司教を勤めた人物です。
この絵は1480年、ジャン・ロランの死の3年前に描かれており、1435年に描かれた「宰相ロランの聖母」に倣って、息子のジャンも父同様、後世に自らを残す祭壇画を望んだのでしょう。
ジャン・エイは1475年頃から画家として活動し、1505年頃死去したとされるフランドル派の画家で、フランスとブルゴーニュ公国で活動し、ブルボン公爵家の宮廷人だったというぐらいしか判っていません。
その作風からフーゴー・ファン・デル・グースの弟子だったと考えられ、「ムーランの画家」として知られていた画家と同一人物と考えられています。
ムーランの画家とは、パリ南東にあるムーラン市の大聖堂の祭壇画の作者が特定できないために付けられた綽名です。
近代絵画ではモーリス・ドニの作品が、小品揃いながら23点もありました。
モーリス・ドニについては第123回を参照して下さい。