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美術館訪問記- 592 アラス美術館、Arras

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:グラン・プラスの家並み

添付2:アラス美術館正面

添付3:アラス美術館とアラス大聖堂間の通路

添付4:アラス美術館中庭

添付5:ストスコップフ作
「雉、赤い山鶉、鳩」

添付6:コロー作
「アラス近くの道」1855年頃

添付7:コンスタン・デュティユー作
「スカルプ川の岸辺」

添付8:シャルル・デサヴァリー作
「アラスの石橋」

添付9:コロー作
「木を切る女たち」1871-2年

添付10:ラファエル・コラン作
「フロレアル」

パリの北約170㎞の所にローマ時代からの古都、アラスがあります。

この街の中心グラン・プラスには同じ建築様式で建てられた建物が155棟も並び、ヨーロッパでは唯一の景観となっています。

これは、16世紀にアラスを支配していたスペイン国王フィリップ2世の政策により、火事を避けるために建築資材としての木材の利用は禁じられ、なおかつ広場の均整のとれた美観を保つため建築様式は厳格に統一されたためです。

これらの建物の多くは第一次世界大戦のドイツ軍の攻撃により大部分は破壊されましたが、戦後、建築当初と全く同じ姿に復元されています。

このグラン・プラスの西約400mの場所に「アラス美術館」があります。

街の歴史を語る上でも重要な建物で、昔はベネディクト派の修道院の建物でした。アラス大聖堂と接合された3階建ての巨大な建築物で、3翼からなり、3つの庭も付属しています。

3階まである数多くの展示室は、地方美術館としては一流のコレクションで溢れていました。

オールド・マスター作品はピーテル・ブリューゲル子やルーベンス、ヨルダーンス、ヨアヒム・ウテワール、ラルジリエール、ブールドン、フィリップ・ド・シャンパーニュ、シャルル・ルブランなど。

特にストスコップフの鳥の絵は初見で、彼がこんな絵を描いていたのかと初認識し、驚きました。ストスコップフについては第213回ルーヴル・ノートルダム博物館を参照して下さい。

近代画家ではコローの作品が6点もありました。

中でも「アラス近くの道」という絵から、彼がこの近くに滞在していた事を知り、調べてみると、コンスタン・デュティユー(1807-1865)というアラスで素描を教えていた国立美術学校の卒業生が、1847年のパリのサロンに出展されたコローの絵に感銘を受け、彼の作品を購入したことから二人は親しくなり、デュティユーの招きでコローは定期的にアラスを訪れていたのでした。

誰にでも親切なことで知られたコローは、アラス在住の画家たちに惜しげなく助言し、彼の風景画の技術を伝授したので、コローを中心とする「アラス派」と呼ばれる画家たちが形成されました。

デュティユーはアラスだけでなく、コローとオランダやバルビゾンに旅し、「バルビゾン派」の画家たちとも親交を結んでいます。

デュティユーの死後は、彼の娘婿で画家だったシャルル・デサヴァリーがアラスでコローと親しく交わっています。美術館にはデサヴァリーの作品も20点近く展示されていました。

コローの「アラス近くの道」は少し湿気を含んだ初夏のアラスを描いたものですが、1871-2年の冬に描かれた、乾燥した空気の「木を切る女たち」もありました。

この絵の左側に見える塔はアラスの街のランドマークになっているものです。コローは余程アラス近辺の風景が気に入っていたのでしょう。

黒田清輝や岡田三郎助など、多くの日本人画学生がパリで師事した画家、ラファエル・コランの「フロレアル(花月)」も印象的でした。