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美術館訪問記- 591 サン=モーリス大聖堂、Angers

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン=モーリス大聖堂正面

添付2:グリューネヴァルト作
「聖モーリス」
ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク蔵

添付3:グレコ作
「聖マウリシオの殉教」
エル・エスコリアル修道院蔵

添付4:ファサードの八人の武士たち

添付5:正面入り口

添付6:タンパンのレリーフ

添付7:シャルトル大聖堂のタンパン

添付8:サン=モーリス大聖堂内部

添付9:バラ窓

添付10:大聖堂からの眺め

アンジェ城から細い道を抜けてすぐの所に「サン=モーリス大聖堂」があります。アンジェ城にある黙示録のタペストリーは、昔、この大聖堂が所有していました。

美しい2つの尖塔が印象的な大聖堂で、アンジェの町のどこからでも見えるランドマークでもあり、地元の人々にアンジェ大聖堂と呼ばれ親しまれています。

聖モーリスは西暦250年、エジプトのテーベの生まれで、ローマ軍の兵士となり、部下千人ほどを率いるテーベ一帯の司令官まで上り詰めます。モーリスも部下全員も熱心なキリスト教徒でした。

時のローマ皇帝マクシミアヌスからスイスへ出動を命じられたモーリスでしたが、征伐すべき相手がキリスト教徒の部族あると知り、「皇帝の臣下である以前に私は神の僕である」という有名な言葉を残し、同じキリスト教徒を討つことは出来ないと、命令に背きました。

怒った皇帝はモーリス以下、部隊全員を処刑。西暦287年のことでした。これが、キリスト教徒の間では有名な「聖モーリスの殉教」です。

彼の殉教の地が、名前に由来するサンモリッツと名付けられて今に残っています。

聖モーリスはフランス語と英語の記述で、スペイン語では聖マウリシオ、ラテン語では聖マウリティウスとなります。

生まれがエジプトであった聖モーリスは、宗教画で黒人として描かれる珍しい聖人で、その高邁な殉教者精神は広く尊崇を集め、世界中に彼の名前を冠した教会や修道院が存在します。

一例としてグリューネヴァルト作「聖モーリス」を添付します。

第31回のエル・エスコリアル修道院にあるグレコの「聖マウリシオの殉教」では、中央右側に立つ髭の白人として描かれていますが。

大聖堂は4-5世紀に建てられた聖母マリアに捧げる礼拝堂が起源といわれ、11世紀初にロマネスク様式で完成しますが、ほどなく焼失。その後再建や改造を経て現在のゴシック様式の建造物となったのは1523年。

石レンガでできた見事なファサード上部に巨大な彫像が並んでいますが、これらは聖堂には珍しい8人の武人。モーリスに仕え共に殉教した士官だそうです。

重厚な造りの正面入り口のタンパン(入り口上部半円形の部分)は、シャルトルの大聖堂と同じで、終末論的な再臨したイエスが中央に鎮座し、その周りを4人の福音書記者の象徴が取り巻いています。

すなわち右上から時計回りに、聖ヨハネの鷲、聖ルカの雄牛、聖マルコの獅子、聖マタイの天使です。

内装は側廊がないためシンプルな造りで、横幅が大聖堂にしては狭いが、奥の部分が広く、重厚な趣があります。

12世紀から16世紀にかけて作られた側壁のステンドグラスは彩り鮮やかで、特に南北のバラ窓は息を飲むほど美しい。

聖堂を出てすぐに見下ろすメーヌ川とアンジェの町並みは印象に残るものでした。