パリの南西270km余り、フランス中西部ロワール川流域地方の中心に、紀元前より交通および戦略上の要衝として栄えた古都、アンジェがあります。
古代から中世にかけては、アンジュー家の公国都市として繁栄しており、当時は華やかな宮廷文化が栄えていました。
この古都の旧市街の中心部分に「アンジェ美術館」があります。
1486年から1493年にかけて建築された「バロー家の館」というアンジェ最古の私有邸宅を核とし、地区や市のコレクションを集めて1801年に創設されました。
ルーヴル美術館等と並び、フランスにおいて最初期に創設された美術館の一つです。
その後国家からの寄託作品や、コレクター、アンジェゆかりの作家らによる様々な寄贈と遺贈を受けながら、豊かな美術コレクションを築き上げて来ました。
建物も近辺の館と統合したものを1999年から2004年にかけて改造し、古都にマッチした外観を保ちながら、内部は近代化された展示室となっています。
この美術館の中心となるのは美術史上初めてフランス主導の美術様式となったロココ美術です。ロココはこれまで何度も名前を出しましたが、まだ解説していませんでした。
ロココとは貝殻や小石などで飾った人工の岩窟を意味するフランス語のロカイユ(rocaille)に起源し、18世紀の貴族生活の美化に役立つ装飾様式や工芸品について用いられたのが、次第に広く美術全般の様式概念として使われるようになったものです。
この言葉も19世紀の新古典主義者達から、あの軟弱なルイ15世時代の美術様式というような蔑称で使われましたが、現代では繊細優美だけではなく、軽妙洒脱さ、自由奔放さ、親しみやすい日常性と感覚性という新しさが評価されています。
1715年、72年間も続いた太陽王ルイ14世が死去すると、5歳だった曾孫のルイ15世が即位。それまでの太陽王の絶対王政下の動的でダイナミックな表現、劇的な描写技法、豊かで深い色彩、強い明暗法などが特徴のバロック美術の反動として、華麗で軽妙洒脱で親しみやすいロココ美術が登場して来るのです。
ロココ絵画はルイ15世(在位1715-1774)のフランス宮廷から始まり、ヨーロッパの他国にも伝えられ、流行しました。
ロココ絵画の幕を開けたのがアントワーヌ・ヴァトーです。
ヴァトーは1684年、フランス西北部、ベルギー国境に近いヴァランシエンヌに生まれ、地元の画家ジュランのもとで修業後、1702年、パリに移り、複製絵画の製造業者の下で、宗教画や風俗画のコピーを手がけます。
その後、劇場装飾家クロード・ジローの工房に入り芝居画を描きながら、画題と技法を会得。次いで当時の著名な室内装飾家、クロード・オードラン3世の助手として働き、ロココ的な装飾様式を身につけて行きました。
1717年に完成した代表作「シテール島の巡礼」で、彼のために設けられた雅宴画部門の一員としてアカデミー入会が認められます。
シテール島は、海の泡から生まれた愛の女神ヴィーナスが流れ着いた伝説が残され、独身者が巡礼をおこなえば必ず好伴侶が見つかるという、ギリシャ近郊の島で、若い男女らが巡礼後、離島する情景が描かれているとされています。
この絵はロココ絵画の代表作とも言えるもので、華麗で雅やかなロココの雰囲気が漂う場面描写の中に、メランコリックな情緒性を感じさせる表現や豊潤な色彩描写は、バロック絵画の画家ルーベンスや16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの作品の影響を受けながら形成したヴァトー独自の様式であり、特筆に値する出来栄えを示しています。
印象派の巨匠モネやルノワール、近代彫刻の父ロダンなど多くの画家や彫刻家が「ロココの典雅さが最も表現された類稀な作品である」と、賛辞を贈っています。
ロココの寵児となったヴァトーですが、1721年、結核と思われる病のため、短い一生を終えています。ラファエロやゴッホも37歳で夭折していますが、時代を代表する画家たちには共通するものがあるのでしょうか。
ロココを代表する画家にはヴァトー続いてランクレや、シャルダン、ブーシェ、グルーズ、フラゴナールなどがいますが、彼らの作品も展示されています。特にフラゴナールは6点もありました。
さらにヤン・ブリューゲル父やルーベンス、ヨルダーンスなどのフランドル絵画、ルカ・ジョルダーノやティエポロ、グアルディ、カノーヴァなどのイタリア美術、アングルやシャヴァンヌ、コロー、ミレー、ブーダン、モネなどのフランス絵画、アンジェに関わりの深い画家、彫刻家の作品など多様な展示内容となっています。
この美術館前の広場には巨大な女性の顔の彫刻があり、美術館の裏庭にはニキ・ド・サンファルのサイケティックな彩色彫刻も置かれていました。