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美術館訪問記- 586 ピカルディ美術館、Amien

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ピカルディ美術館正面

添付2:ピカルディ美術館内部階段

添付3:シャヴァンヌ装飾のギャラリー

添付4:シャヴァンヌ作
「仕事」

添付5:ピカルディ美術館1階大広間

添付6:グレコ作
「男の肖像」

添付7:フランス・ハルス作
「ハーマン・ランゲリウスの肖像」

添付8:フランソワ・マリウス・グラネ作
「免罪符の販売」

添付10:モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥール作
「自画像」

パリの北120㎞余りに古代ローマ時代からの古都アミアンがあります。花に彩られた美しい運河沿いに開けた、人口約13万5千人の地方都市です。

この市の中心部分にあるのが「ピカルディ美術館」。

ピカルディとは、この地方の一般的な名称で、地域圏(州)の名称でもありました。ところが2016年からは、フランスの地域圏の再編成に伴い、オー=ド=フランス地域圏という味気のない名称になってしまいました。そして行政名称からはピカルディの名称が消えてしまいました。

しかしこの美術館があることで、多くの人にとって懐かしい地名が残っていくでしょう。

ピカルディ美術館はフランス地方都市としては最大の美術館の一つです。創建は1802年ですが、現在の建物は、1855年から67年の間に第2帝国様式で建設されました。最初から美術館として造られた建物としては早い。

第2帝国様式とはナポレオンの甥であるナポレオン3世が皇帝に就いていたフランス第2帝政期に流行したルネサンス様式とバロック様式を選択的に混合したもので、二重勾配の屋根や、低く底辺が方形のドームと組み合わされることが多い。

フランスを代表する画家ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが内装を手掛け、美術館内には彼の壁画も展示されています。

シャヴァンヌは壁画家として初めて「総合装飾」を意識して手がけた仕事でその後の彼の装飾壁画家としての画業を決定づける重要なものになりました。

当時はナポレオン3世によるパリ大改造計画のため多くの公共の建物が建造中で、シャヴァンヌはそういった建物の壁画を多く依頼されるようになります。

パステル調と古典的な装飾的構成を採り入れた神話的、文学的、象徴的な主題による格調高い画風により、当代随一の壁画家として名を成すのです。

美術館に入ると主階段の上にシャヴァンヌの壁画「戦争と平和」が見え、1階のギャラリーには彼の描いた壁画を伴う装飾がありました。

1階中央にはガラス天井まで吹き抜けの大広間があり、四方の壁に大作絵画が二、三段に展示されていましたが、名の知られた画家の作品はありません。

しかし他の展示室には15世紀から現代に至るまでの地方美術館としては豊饒なコレクションが散りばめられていました。

オールド・マスターはグレコやリベーラ、ヨルダーンス、ダイク、ティエポロ、フランス・ハルス、グアルディ、シャルダン、ブーシェなど。

近代絵画はコローの7作を始め、テオドール・ルソー、ディエズ、クールベ、ヴュィヤール、ピカソ、フランシス・ベーコンなど。

第579回で詳述したフランソワ・マリウス・グラネの風俗画3点やピカソが「20世紀最後の巨匠」と賞賛し、お目にかかる機会の少ないフランス画家バルテュスの1点もありました。

中でも印象的だったのはモーリス=カンタン・ド・ラ・トゥールの「自画像」。

彼は18世紀に活躍した盛期ロココ様式を代表する肖像画家で、肉感と生命を感じる肖像画と評されましたが、その面目躍如です。

彼については次回、詳述しましょう。



(添付9:バルテュス作「青いベルトの女」は著作権上の理由により割愛しました。
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