イタリア、ジェノヴァの南約200㎞の所にコルシカ島があります。日本の広島県ぐらいの面積の大きな島でフランス語ではコルス島。
この島はフランス領で島の中程よりやや南の西端にアジャクシオという都市があります。歴史ある街で、人口は10万7千人足らず。
飛行場もありますが、私は船便を使いました。南仏のトゥーロンを21時に出て翌朝7時にアジャクシオに着きます。10階建ての巨大フェリーで快適な船旅。
往復足掛け3日間をかけて、この街まで足を伸ばした目的は「フェッシュ美術館」。
この美術館はナポレオンの母方の叔父であるジョゼフ・フェッシュ枢機卿のコレクションを基礎として設立されました。
彼は自分の生まれ故郷のアジャクシオに美術館建設を意図し、当時、フェッシュ枢機卿が収集していた実に17,767点に及ぶ美術品の中から1000点を町に寄贈。
美術館建設は1806年に着手されましたが、開館したのは1850年代でした。
アジャクシオの中心に位置する美術館は、19 世紀に建造された壮麗なフェッシュ宮殿内にあります。宮殿には広い図書室のほか、美術館の創設者らが眠る礼拝堂も併設されています。
美術館は広い中庭をコの字型に囲む両翼付きの3階建て。入り口前にはフェッシュ枢機卿の銅像がありました。
マンテーニャやラファエロ、レンブラント等を含んでいたフェッシュのコレクションは、本人や遺族の売却で、その多くが残念ながら散逸してしまいましたが、残されたイタリア絵画コレクションだけでも、フランス国内ではルーヴル美術館に次ぐ作品数となるのです。
コズメ・トゥーラ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ルイーニ、ティツィアーノ、ヴァザーリ、ヴェロネーゼ、コルトーナ、リッチ、ルカ・ジョルダーノ等が並ぶのですから壮観です。
コズメ・トゥーラの「聖母子と殉教者,聖ヒエロニムス」は1455年頃と彼の比較的初期の作品ですが、既に奇想ともいうべき強烈な感情表現と強いねじれ、劇的な構成とやや暗めの色彩で、魔性というか、何か健常な精神とは異なるものを発散しています。
ボッティチェッリの「聖母子と天使」も1465-68年頃と、彼の初期作品で、師のフリッポ・リッピの影響が色濃いものの、幼子キリストをそっと抱きあげる、聖母マリアの慈愛に満ちた表情と、わが子へ一心に注がれる眼差しには、観る者を絵画の中へと引き込む不思議な力があります。
ルカ・ジョルダーノの「聖セバスチャンの殉教」は1670年の作で、時代はかなり下りますが、それでも、とても350年前とは思えない現代的な青年の迫真的な表現にドキリとしました。
「黄昏または一日の終り」というブグローの観た事のない素晴らしい裸婦像がありましたが、これはキューバのハバナ市にある国立美術館からの借りものでした。他にもドラクロワ、クールベ、コロー、エンネル等の佳品が来ていました。
キューバに行く機会があるとは思えず、第289回のコペンハーゲンのアルケン近代美術館でたまたま、これも行くとは考えられないイスラエル美術館の特別展に遭遇したような、幸せな気分になりました。
美術館には、ナポレオン出身のボナパルト家ゆかりの美術品を展示するセクションもあり、若き日のナポレオン1世の胸像やフェッシュ枢機卿の胸像など、ナポレオン一族の肖像画や、遺品などを展示したコーナーもありました。
この日はこの美術館だけのスケジュールで、昼食を入れても4時間程で十分堪能し、空いた時間は古都の散策やカフェでの日誌書きなどでのんびり過ごしました。1か月前後の旅ではこういう日も1日ぐらいはあってよいのです。
散策の途中、酒屋があったので覗いてみると、スコッチやアイリッシュ、バーボンなどのウィスキーが数多く並べられた中央に日本のサントリー響が据えられていました。何かとうるさいフランス人が日本のウィスキーを最上級と認めていたのです。思わず頬が緩みました。
なお、聖ファビオラはカトリックの聖女。ローマの貴婦人で絶世の美女といわれ、離婚後キリスト教徒となり、巨額の財産を投じて貧民と苦労をともにしながら病人を看護しました。390年、ローマに巡礼者のための救護所を設立、これはキリスト教徒の手になるヨーロッパ最初のものといわれます。
彼女の活動はローマの貴婦人に大きな影響を与え、救療活動が愛の精神の最上のものであることを教えることになりました。この事は以後ヨーロッパ上流社会の伝統となっていきます。