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美術館訪問記- 582 ヴァザルリ財団美術館、Aix- en- Provence

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヴァザルリ財団美術館外観

添付2:ヴァザルリ財団美術館内部

添付3:ヴァザルリ財団美術館天井

グラネ美術館の西2500mの所に「ヴァザルリ財団美術館」があります。1976年開館。開業記念式典には当時のフランス大統領ジョルジュ・ポンピドゥーも臨席しました。

エクス=アン=プロヴァンスが選ばれたのは、ヴァザルリがセザンヌをこよなく愛するがゆえだったのです。

芝生に覆われた広い公園のような敷地の東端に建てられた90 x 45 x 12mの美術館の建物自体がヴィクトル・ヴァザルリの作品で、ヴァザルリのデザインをジョン・ソニアとドメニク・ロンスレーが設計したもの。

幅14m、高さ11mの六角柱を16個組み合わせた蜂の巣状の独特の構造です。この幾何学的形状の建物の各部屋は天井の高い平屋で、入口の一部に2階があり、そこから他の部屋部屋が見下ろせる様になっていました。

天井も蜂の巣状で各部屋に、9mの高さの天井まで届く、8 x 6mのヴァザルリの巨大な平面や半立体作品が6面展示されています。7部屋に合計42点ありました。

それぞれシルクスクリーン、タイル、タピスリー、ブロック、等でできていて、ブロック作品などは実に精密に信じがたい精度で組み立てられています。

全て幾何学的形状で視覚的効果は面白いのですが、私には絵画としての興味は感じられませんでした。

小学生低学年の団体が来ていて座り込んで先生の話を聞きながら観ていましたが、彼等には面白かったかもしれません。

ヴィクトル・ヴァザルリは1906年、ハンガリーに生まれ、ブダペスト大学で医学を学ぶのですが途中で断念し、美術の道へ進みます。

1930年、パリへ移り広告や装丁の仕事で暮らしながら独自の芸術を模索し続けます。彼の作品に惹かれた女性画商をパトロンとして、第2次大戦後、さまざまな素材を駆使して、幾何学的抽象性を追求した作品を制作し続けます。

1965年ニューヨーク近代美術館で「感応する眼」展が開催され、出展したヴァザルリは「オプ・アート」の旗手として名声を確立します。

オプ・アートは1964年のタイム誌が初めて使用した用語でオプティカル・アートの略ですが、当時アメリカで隆盛していたポップ・アートの対語の形で使われます。

錯視や視覚の原理を利用した絵画、彫刻の一様式で、錯視の知覚心理学的なメカニズムに基づいて、特殊な視覚的な効果を与えるよう計算された作品です。

オプ・アートの源流はトロンプ・ルイユ(だまし絵)の伝統に遡りますが、それらが具象作品であったのに対し、オプ・アートは原則として抽象作品です。

この美術館では、オプ・アートの可能性を限りなく追及した、ヴァザルリの全貌を、巨大作品に取り囲まれながら体感できるでしょう。

なお、彼の作品名は特に意味があるとも思えず、控えていなかったので、今回は例外的にA、B、C、・・・としました。



(添付4:ヴァザルリ作「A」、添付5:ヴァザルリ作「B」、添付6:ヴァザルリ作「C」 、添付7:ヴァザルリ作「D」、添付8:ヴァザルリ作「E」、添付9:ヴァザルリ作「F」および 添付10:ヴァザルリ作「G」は著作権上の理由により割愛しました。
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