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美術館訪問記- 580 グラネ美術館・ジャン・プランク20世紀コレクション、Aix- en- Provence

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:グラネ美術館・ジャン・プランク20世紀コレクション正面

添付2:グラネ美術館・ジャン・プランク20世紀コレクションの看板

添付3:グラネ美術館・ジャン・プランク20世紀コレクション内部

添付6:セザンヌ作
「サント・ヴィクトワール山」 水彩画

添付7:ボナール作
「ル・カネの階段」

添付8:クレー作
「回転する黒い太陽と矢」

前回のグラネ美術館から300m足らずの場所にグラネ美術館別館の「グラネ美術館・ジャン・プランク20世紀コレクション」があります。

改装工事を経た、1654年建造のカルメル会修道会ペニタン・ブラン礼拝堂をそのまま使用しており、3階建てで、大部分は天井まで吹き抜けになっており、2階からは下の1階の大部分が見える構造になっています。

その名のとおり、ジャン・プランクの収集品が2011年に寄託されて2013年以降この場所に常時展示されているものです。

ジャン・プランクは、スイスの貧しい田舎で生まれ育ち、第二次世界大戦直後の1945年、農業技術者だった彼は。35歳で革新的な豚の飼料を発明し、財を成して、それまで様々な職に就きながらも趣味で描いていた絵画の収集を始めます。

1948年には、彼が絶対的な指標として崇めるセザンヌの痕跡のあるサント・ヴィクトワール山のふもとに居を定め、半年は働き、半年は絵を描いて過ごす生活を始めるのでした。

画商としても活動していた彼は、同時代の有名芸術家ピカソ、ジャコメッティ、デュビュッフェなどとも親交を結び、卓越した鑑識眼で彼らの作品を売買すると同時にコレクションしてもいったのです。

画商というよりも謙虚な画家として、崇敬の念もあらわに彼らに接するプランクを好まない芸術家はいる訳もなく、彼らの絶大な信頼を買い、時には作品を特別価格で譲ってもらったり、無償で分けてもらったりもしました。

彼自身、画家としては、セザンヌやピカソ、ジャコメッティなどの先達に私淑する余り、彼等の真似に留まり、「ジャン・プランクは自分の集めたい絵を描いた」と言われ、成功することはありませんでしたが。

1972年には仕事から引退し、絵を描いたり執筆したりする生活に入り、1998年に彼と妻の名を冠した財団を立ち上げ、300点余りの所蔵品を託した後、翌年、交通事故死しています。

展示品は多岐に渡っていますが、プランクの作品は「青、白、赤のコンポジション」など何点かが2階に展示されていました。

圧巻はピカソで佳品が15点もありました。

プランクがピカソと始めて会ったのは1960年の事で、彼はセザンヌの絵を1点、ピカソに売りに行ったのです。

このやり取りでプランクを気に入ったピカソは、その後プランクが引退するまで頻繁に彼と取り引きし、プランクは忖度することなく、ピカソの作品について思ったことを言い、時には批判もしたのでした。おべっか者たちに取り囲まれていたピカソは増々彼を信頼して行ったのです。

プランクが崇拝していたセザンヌは、プランクが生まれる前に死亡していたので、既に価格が高騰していて、油彩画を自分で買うには手が出なかったのでしょう、水彩画の中品が2点だけありました。

他にはボナールやデュフィ、ドガ、モネ、ゴッホ、ルオー、ヴァロットン、クレー、デュビュッフェなど個人としては上級のコレクションです。

なお、私が訪れた時は内部撮影禁止で写真はHPやWebから借用しました。



(添付4:ジャン・プランク作「青、白、赤のコンポジション」、添付5:ピカソ作「帽子を被り椅子に座った女」および添付9:デュビュッフェ作「ボベーシュオペラ」は著作権上の理由により割愛しました。
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