第70回で触れたセザンヌのアトリエがあるエクス=アン=プロヴァンスはプロヴァンス地方の歴史的中心地ですが、その中心部にあるのが「グラネ美術館」。
もとは17世紀に建てられたマルタ騎士団の建物で2階建て。それを市が買い取り、1838年に美術館として開館しています。
当初は政治家で歴史家だったフォーリス・ド・サン・ヴァンサンが収集した骨董品中心でしたが、画家のフランソワ・マリウス・グラネが所有していた自作品とオランダ、イタリア画家たちの収集品全てが1849年に寄贈され、彼の名を冠した美術館名に変更されたのです。
グラネは1775年、エクス=アン=プロヴァンスの生まれで、アカデミーで学んだ後20歳でパリに出て、ジャック=ルイ・ダヴィッドに師事した新古典主義の画家です。
彼は1802年から1824年まではローマに滞在。1806年から同じ1824年までローマで暮らしたジャック=ルイ・ダヴィッド門下の同期生、アングルが彼のスタディオがあった、ヴィッラ・メディチの屋上でポーズをとるグラネを描いた肖像画の傑作が、この美術館に展示されていました。
同じ部屋にグラネの作品が多数展示されています。
パリに戻ってからはルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿の館長を歴任し、1848年の二月革命時に故郷に戻り、翌年亡くなっています。
美術館の奥の一室にアングルの代表作、「ユピテルとテティス」がありました。
327 x 260㎝の大作で、ホメロスの「イリアス」のエピソードに基づき、ニンフのテティスが全能の神ユピテルに、トロイア戦争で息子のアキレウスに味方するように哀願している様子を描いています。
ユピテルはローマ神話の主神で、ギリシャ神話ではゼウスにあたります。
稲妻を武器に使い、鷲を傍に従える雄々しい姿のユピテルですが、相撲で言う三所攻めともでいうのでしょうか、乳房をユピテルの膝にのせ、右手で膝に触れ、左手であご髭に触れながら懇願するテティスに、美女に弱い彼は陥落寸前。
画面の左端に嫉妬に燃えるユピテルの正妻ユノの顔が見えるところが怖いですね。
この美術館で掘り出し物だったのは滅多にお目にかかれないロベルト・カンピンの作品があったことです。カンピンについては第445回を参照して下さい。
オールド・マスター作品は他にもルーベンスやダイク、ヨルダーンス、レンブラント、グエルチーノ、ル・ナン兄弟、リゴーなどが並びます。
レンブラントの自画像は晩年のものですが、数多い彼の自画像の中でも最も厳しい表情をしています。
近代絵画部門にはジャック=ルイ・ダヴィッドやジェリコー、ベルナール、ドニ、ピカソ、レジェ、モンドリアン、クレー、モランディ、バルテュスなどが揃い負けてはいません。
特に地元の生んだ最大の画家セザンヌ作品は10点を数えました。内9点は1984年に国家から寄託されたものですが、1点だけは美術館購入。
それが1862年から1863年にかけて描かれた「エミール・ゾラの肖像」です。永く私蔵されていたのですが、2011年にオークションにかけられ、ゆかりある美術館として何が何でも落札したものなのです。
セザンヌは若かりし頃、この美術館に足繁く通い、アングルの作品やグラネのコレクションに大きな影響を受けています。
「居酒屋」や「ナナ」などで知られる文豪ゾラは、セザンヌとは中学時代からの親友で、セザンヌが芸術の道に進むことを励ましたのでした。
ゾラはパリでセザンヌと友人たちが進めていた、全く受け入れられてなかった、印象派絵画を擁護し、支援する芸術論も著しています。
これまでゾラが1866年に出版した「制作」の中で、セザンヌをモデルとした、主人公クロードの悲惨な生涯を描いたことで、セザンヌから絶交されたと一般に考えられて来ていましたが、より後年の交友を示す二人の間の手紙が2014年に発見され、実態は違っていたようです。
セザンヌの修業時代の静物画と彼の代表作となる「大水浴」の基となった小品の「水浴」図を添付しておきます。
この美術館には、他にも多くの彫刻やケルト・リグリア文明といったこの地方の原始文明や古代エジプト、ギリシャのコレクションも展示しています。
なお、私が訪れた時は内部撮影禁止で写真はHPやWebから借用しました。