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美術館訪問記- 574 ラジョーネ宮、Bergamo

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヴェッキオ広場(ラジョーネ宮入口前の通路より撮影)

添付2:ラジョーネ宮外観

添付3:カフェ・デル・タッソ

添付4:右手奥にあるラジョーネ宮への階段

添付5:アレッサンドロ・アッローリ作
「最後の晩餐」

添付6:作者不詳モザイク「最後の晩餐」
イタリア、ラヴェンナ、サンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂蔵

添付7:ジョット作
「最後の晩餐」
ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク蔵

添付8:ドメニコ・ギルランダイオ作
「最後の晩餐」
フィレンツェ、サン・マルコ美術館蔵

添付9:レオナルド・ダ・ヴィンチ作
「最後の晩餐」
ミラノ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院蔵

添付10:アンドレア・デル・サルト作
「最後の晩餐」
フィレンツェ、サン・サルヴィ美術館蔵

前出のベルガモの2美術館は新市街チッタ・バッサ(下の町)にありますが、旧市街チッタ・アルタ(上の町)にあるのが「ラジョーネ宮」。

チッタ・アルタの中心となるヴェッキア広場にあり、1198年に建設された、ベルガモで最も古いゴシック様式の建造物で、派手さはないものの品格漂う外観をしています。昔はベルガモの象徴とされ、市役所としても使われていました。

特徴的なのは、一階部分の三つのアーチ。真ん中の窓の上には、かつてヴェネツィアの支配下であったことを示す「サン・マルコの獅子」が彫られています。

ここは面白い造りで、ヴェッキオ広場の隅にある、1476年の創立でイタリア最古のバルというカフェ・デル・タッソの反対側にある階段で2階へ行き、広場を横切る通路を通ってラジョーネ宮に入るようになっています。

宮内には、私が訪れた2014年5月時点、閉鎖中のカッラーラ美術館所蔵品の一部が展示されており、ラジョーネ宮の所蔵品の展示はごく僅か。

その中ではアレッサンドロ・アッローリのフレスコ画「最後の晩餐」が白眉でした。

アレッサンドロ・アッローリについては第446回で詳述しました。

「最後の晩餐」はこれまでも何度か登場して来ましたが、まだ解説していませんでした。この機会に説明しておきましょう。

最後の晩餐は、キリスト教の新約聖書に記述されているキリストの事跡の一つで、イエス・キリストが処刑される前夜、十二使徒と共に摂った夕食、またその夕食の席で起こったことをいいます。

この主題は、西欧キリスト教社会においては、キリスト教布教のためにキリストの生涯をいくつかの場面で紹介しようとすれば、必ず取り上げられるものの一つで、昔から描かれて来ました。

私の記憶にある最初は第33回で触れたモザイクの宝庫、イタリアのラヴェンナで訪れたサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂で観たものです。

6世紀前半に制作されたとの事ですが、半円形のテーブルの周りに13人がいます。左端にいるキリストが「汝らに告ぐ。汝らの一人、我を売らん」と言い、右端にいるユダを指さしています。緊迫した場面です。

この時点では聖人を示す光輪はキリストにしかなく、食卓には二匹の魚のみ。後世、キリストにつきものになるワインはありません。ユダだけ衣の色が他の使徒とは異なる薄いブルーですが、この色は経年変化か化学変化で黄色から変色したのかもしれません。

絵画では西洋絵画の父ジョットが1320年から1325年頃に描いたものがあります。13人は四角いテーブルに座り、使徒全員に光輪がつき、一人だけ光輪のないユダはキリストの右手に座り、欺瞞の色である黄色の衣を羽織っています。

イエスの懐に抱かれているのは聖ヨハネ。これは「ヨハネによる福音書」に「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それは誰のことですか」と言うと、・・・」と書かれている事に起因しています。

聖ヨハネはイエスの最初の弟子の一人で、磔刑に処された時も聖母マリアと共に十字架の下にいて、イエスがマリアに「あなたの子です」と言い、イエスの愛しておられた者には「見なさい。あなたの母です」と言ったと福音書に書かれています。

ただ「イエスの愛しておられた者」というのは4福音書の内「ヨハネによる福音書」しか出てこず、その者が誰なのかも明記されていません。一説にはその者はマグダラのマリアではないかともいいます。

ダン・ブラウンの世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」もその説を取り、キリストとの間に生まれた子供の子孫を守る秘密結社の話になっていました。

聖ヨハネは使徒の内ただ一人殉教せず、聖母マリアに仕えたとされています。

続いてドメニコ・ギルランダイオが1480年に描いた「最後の晩餐」。彼はこの主題で3作残していますが、どれも同じような構図で、コの字型のテーブルに、それまでは左端だったキリストを中央に配し、ユダだけが唯一人、皆と向き合う形で座っています。

これはそれまでの円形や四角のテーブルでは登場者の一部が後ろ向きにならざるをえないというのを補正するためで、フィレンツェでは好まれました。

師のヴェロッキオの下ではギルランダイオの弟弟子だったレオナルド・ダ・ヴィンチが、それまでの伝統に基づきながらも、総決算として1498年に描いたのが、誰もが知るあの「最後の晩餐」。

彼は構図を刷新し、完全な透視図法の下に登場者全員を観客に向き合うように描き、緊迫の場面に動揺する弟子たちの動きと、諦観したキリストの崇高な姿を、臨場感あふれる現実の迫真のドラマとして対比して見せたのです。

人間にはある筈のない光輪を失くして現実感を出し、遠近法の消失点をキリストの額にし、それまで密接して描かれていた聖ヨハネとキリストの間の空間を思いきり広げ、自然と視線を、中心のキリストへ誘導する工夫をこらしています。

キリストや天使のような神性のある人物を描かせたら、古今東西、レオナルド・ダ・ヴィンチの右に出る画家はいないでしょう。

最後にアンドレア・デル・サルトの1527年に描かれた遺作、「最後の晩餐」。

ジョット以前のように、ユダがキリストの直ぐ右手側に何の特異性も無く描かれています。その構成の巧みさ、色の鮮やかさ、緊迫した動き。

総合的に見てダ・ヴィンチの作に勝るとも劣らない最高の「最後の晩餐」。

右隣のイエスの愛しておられた者は、キリストに切迫した感じで「裏切り者は誰ですか」と問いただしています。

キリストが「私がこれからパンを渡す者だ」と答えて,ユダにパンを渡そうとしている場面を,一瞬のうちに凝縮させた実に見事な劇的表現です。

階上に描かれた二人は、この場面が絵空事ではなく、実際に今あなたが見ている日常的な現実なのだという事を示すための演出でしょう。

アレッサンドロ・アッローリはアンドレア・デル・サルトの弟子の、ポントルモの弟子の、ブロンズィーノの弟子と、3代後になるのですが、彼の「最後の晩餐」は1582年作と55年後も、3代前の師の構図を受け継いでいます。

ただユダの衣装は青一色で、黄色が欺瞞を現すという伝統は潰えたようです。