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美術館訪問記 - 573 ベルガモ近現代美術館、Bergamo

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ベルガモ近現代美術館外観

添付2:ベルガモ近現代美術館入り口

添付3:ベルガモ近現代美術館内部

添付4:カンディンスキー作
「鋭い円」

添付8:モランディ作
「静物」

カッラーラ美術館の新古典主義の壮麗な建物の向かいにあるのが 1991年、カッラーラ美術館に併設された「ベルガモ近現代美術館」。

かつての女子修道院の建物を改修して入居しており、 外見は古めかしいのですが、美術館の入り口は近代化されていました。

展示品は現代絵画が中心で地元出身の画家達が多く、 名前を知った画家はごく僅かしか見当たりません。

国際的に知られた外国の画家の作品はカンディンスキーの1点だけ。

1925年に描かれ「鋭い円」と題されたこの作品は、幾何学的抽象画で 形と音、色彩間でお互いに対話しあっているかのようです。

イタリアの画家ではキリコの2点が目につきました。

キリコについてはとっくに説明したつもりでしたが、チェックしてみると 名前は何度も出しているものの詳述はしていませんでした。

ジョルジョ・デ・キリコは1888年ギリシャの古い港町ボロスで生まれています。 両親はイタリア人で父は鉄道敷設の技師としてこの地に来ていたのです。

17歳で父が死ぬと母とともにミュンヘンに移り、ミュンヘン美術アカデミーに入学。 ミュンヘンではニーチェのドイツ哲学やベックリンの象徴主義絵画に傾倒します。

1910年、フィレンツェへ移住した頃から「形而上絵画」と名付けた絵を 描くようになります。

「形而上」とは具体的な形を超えた超自然的なものや理念的なものを指します。 形而上絵画は、目に見える日常の裏に潜む神秘や謎、不安、憂鬱といった感情を 表現しようとするものだったのです。

添付の「予言者の報酬」を例にして説明しましょう。

父の影響でキリコの絵には鉄道駅や汽車が出てくることが多い。 時計は2時前を指し、太陽はまだ高いにもかかわらず、影を長く描くことで 謎めいた雰囲気を強調しています。

屋上の旗と汽車の煙、棕櫚の木の向きはバラバラ。 駅舎の影の右端は当然彫像にかかる筈なのにそうなってなく、 イタリアの広場なのに椰子の樹があるなど不思議な事が多い。

また広場に横たわる彫像はギリシャ神話に出てくるアリアドネ(第425回参照)で、 古代と後方の蒸気機関車という現代文明との対応も、時間的、空間的に 不安な気持ちを醸成します。タイトルも意味不明で理解できず不安になります。

この異常な静寂の支配する作品は、現実的な主題を扱いながらも、 極めて非現実的な、強烈な、神秘的雰囲気をもたらしています。 ニーチェのいう「限りなく神秘と不安に満ちた孤独な詩情」を絵にしたと言えます。

形而上絵画とその方法論は、シュルレアリスムの先駆けとして、 詩人のアンドレ・ブルトンやダリ、マグリットなどに多大な影響を与えました。

ところが1920年に「形而上芸術について」を出版するとそれで決着をつけたように キリコは古典絵画を学び、古典的絵画を制作するように変身します。

1950年代から形而上絵画へと回帰し、若い頃の絵を描き直していました。 晩年の形而上絵画は色彩が明るくなり、キリコの持ち味である不安や 扇情的感覚が感じられません。20歳台の作品が最も評価されているゆえんです。

キリコは生涯フィレンツェ、ミラノ、パリ、ニューヨークなどを転々とし、 最終的に66歳でローマに移住し、同地にて90歳で亡くなっています。

この美術館には1955年作の形而上絵画と1959年作の静物画の2点がありました。 

1910年代末から1920年代始めにかけて、キリコらの形而上絵画の画家たちと 接触し、形而上絵画を描きながらも、その後は静物画と風景画の 2つの主要テーマに集中して生涯を送ったモランディの静物画もありました。



(添付5 : キリコ作「予言者の報酬」アメリカ、フィラデルフィア美術館蔵、添付6:キリコ作「ゴム手袋と古い石膏彫刻」および 添付7:キリコ作「静物」は著作権上の理由により割愛しました。
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