次の都市はベルガモ。ミラノの北東約40km、アルプスの麓に位置する人口12万人余りの二つの顔を持つ町です。
標高336mの丘の上の旧市街チッタ・アルタ(上の町)と、丘の下の新市街チッタ・バッサ(下の町)から構成されています。
城壁に囲まれたチッタ・アルタには、中世の面影を残す景観や多くの文化財があり、整然と作られたチッタ・バッサは、19世紀以降商工業の中心として発展。
添付の写真はプロの撮ったチッタ・アルタの日の出で、後方下にチッタ・バッサが広がっています。
チッタ・アルタの城壁の東端から200m足らずの場所にあるのが「カッラーラ美術館」。
芸術活動のパトロンで美術品収集家でもあったジャコモ・カッラーラ伯爵が美術学校の創設と生徒たちの参考資料にと自分の膨大な収集品を市に寄贈し、1796年、カッラーラ美術学校開設。1810年には絵画館完成。
その後の寄贈もあり、現在では絵画1,800点、素描3,000点、版画8,000点以上に加え、彫刻、家具、装飾品、書籍などを所蔵する、質量ともにイタリアでもトップクラスの美術館となっています。
絵画の名品が勢揃いしており、選ぶのに困る程ですが、数点だけ採り上げましょう。
先ずは西洋絵画の規範となっているラファエロ。彼らしい甘美な名画「聖セバスティアン」は2013年国立西洋美術館で開催されたラファエロ展にも来ていましたから、ご覧になられた方もおられるでしょう。
カッラーラ美術館は2008年から2015年まで建物の改修のため閉鎖されており、その間、所蔵品は世界中に貸し出されていたのです。
日本ではラファエロと並ぶルネサンスのスター、ボッティチェッリの「ジュリアーノ・デ・メディチの肖像」も得難い作品です。
絶世の美女と謳われたシモネッタ・ヴェスプッチの愛人であり、1478年には、兄と共にパッツィ家の陰謀に巻き込まれ25歳で暗殺されたジュリアーノの面影を、メディチ家の覚えめでたく、常日頃出入りして彼を子供の頃からよく知るボッティチェッリが描いた貴重な肖像画です。
義理の兄弟になるジョヴァンニ・ベッリーニとマンテーニャの描いた、青衣のマリアとキリストの聖母子像の同型作品を並べて展示してあるのも面白い。
上記二人と同時代のヴェネツィア生まれのカルロ・クリヴェッリがパドヴァ派らしく、果物や野菜を多用した聖母子像も秀逸です。
特筆すべきはモローニの作品群で肖像画がズラリ20作も並んでいました。これは世界最大のモローニ・コレクションでしょう。
ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニは1522年頃ベルガモ近郊のアルビーノで生まれ、ブレシアで肖像画家として名高いモレットに師事し、ヴェネツィア派の影響も受けながら初めはブレシア、後にはベルガモで制作にあたっています。
特に肖像画に優れた才能を発揮し,冷静で緻密な観察による性格描出が,厳しいリアリズムと落ちついた色調や優しく繊細な自然光の表現に支えられ,この分野で多くの傑作を残しています。
16世紀イタリア最高の肖像画家モローニの作品は世界中の美術館で見かけます。1579年、ベルガモで死去。
「ベルナルド・スピーニの肖像」は貴人の肖像を描く際によく用いられた全身像で、スペイン風の衣装に身を包んだ地方の小貴族の威厳と誇りを描き出しています。
「レデッティ家の少女の肖像画」では一転して、いたいけない少女の幸福感と若干の憂いを秘めた微妙な表情を、愛らしく美しく描き切っています。
他にもピサネッロ、ペルジーノ、コスメ・テューラ、カルパッチョ、デューラー、ソドマ、ロレンツォ・ロット、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ、グレコ、ヴェラスケス、ティエポロ、カナレット等枚挙に暇がありません。
なお私達が訪れた2006年は撮影禁止で、館内の写真は美術館のHPから借用しました。