秋田市の鈴木家を訪問。主の鈴木由信氏は「あきたバラ愛好会」の代表で私には義兄にあたる。6月に秋田に用事があったので、訪問した。前日までの天気予報は連日の雨であったが、みごとにはずれ、風が爽やかな良い天気で、時期的にもバラの見ごろであった。
鈴木家の玄関周りは数種類のツルバラが咲いており、道路からもかなり人目を引く。通りすがりの人がウッカリ入り込んで見ていくという。
バラには履歴書があり作った人の思いと名前の由来などを調べるのも面白い。わずかな知識とネットからの情報を載せてみた。一度名前を聞いたが思いだせないものも多くある。
「グラハム・トーマス」
イギリスの育種家デビッド・オースチン氏 作出。
オースチン氏の師が園芸研究家グラハム・トーマス。
奥の庭にはたくさんのバラが植えられている。
「熱情」
1993年 鈴木省三氏の作出 コンテスト向きという。
鈴木省三氏はミスターローズと言われ1913年生まれ。京成バラ園の研究所長も勤めた。2000年に亡くなった。
「そどおり姫」
小野寺透氏 1970年作出。
記紀に登場する、「そどおり姫」の悲しくも激しい恋物語を思わせるバラである。
衣通姫(そとおりひめ)は、記紀に絶世の美女と伝承される人物。衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王。大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がある。本朝三美人の一人とも称される。
記紀の間で衣通姫の設定が異なる。『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。
「ストリーム」Stream
2003年 安田祐司氏作出
安田氏は埼玉県在住でサラリーマンが本業という。
淡いピンクが上品で、大変気に入った。匂いもバラ特有の甘い香りがする。このバラを鉢でいただいたので、東京に持ち帰った。
「ダイアナ プリンセス・オブ・ウェールズ」 Diana, Princess of Wales
1997年8月31日に亡くなった故ダイアナ妃にちなんだバラ。亡くなる直前の1997年にイギリスのハークネス社がバラの品種を彼女に献呈。苗木の売上の一部をイギリス肺病基金に寄付することを条件に、「プリンセス・オブ・ウェールズ」の品種名を下賜された。彼女は「このような素敵なバラに私の名前を付けてくださいましてありがとうございます。このバラの苗木の売上が肺病の患者とその研究に貢献できることを大変嬉しく思っています」と直筆の謝辞を贈っている。死後には、アメリカ合衆国のJ&P社で作られたバラの品種が、苗木の売上の一部を途上国支援のための「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ記念基金」に寄付する条件で、「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」と命名することが許された。
「ラプソディ・イン・ブルー」
Rhapsody in Blue:Shrub. England 1999 by Frank R. Cowlishaw.
アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンの有名な曲の名前のバラ。2003年のRose of the Year受賞のフロリバンダローズ。当時のバラ審査会で世界を興奮させたという。甘い香りがする。
「手児奈」
2002年 小川 宏 作出。
大変鮮やかな剣弁高芯咲のバラ。小川氏は「手児奈」「ノービー」「ロージークリスタル」など、国際バラとガーデニングショウをはじめ数々の著名コンテストに於いて、常に最強と言われたバラを作出している。いまや手児奈でなければコンテストには勝てない、最強のコンテストバラ、との評もある。
鈴木氏もこのバラで秋田県のバラコンテストで1位になったという。
手児奈の伝説によると、万葉の時代よりはるか昔、真間(千葉県市川市)の入江に手児奈という娘が暮らしていた。その美貌ゆえ、数多の男に求愛されるが「我が身はひとつしかない」ことを悩んだ末に入水したという悲話である
「せつこ」1996年に佐々木啓治 作
=>このバラに関する情報をみつけました。
「アンジュラ」 1988年 ドイツ コルデス社
他にもたくさんのバラが植えられている。