3.11東北・東日本大震災チャリティの集い

 私が幹事でホーム・ページを担当している東京秋工会(秋田工業高校同窓会東京支部)の関係で、昨年、在京秋田県高校同窓会連合会から発足した「秋田ふるさと応援団」のホーム・ページも担当している。
 今回の大震災で秋田県は停電や断水を除いて直接的な大被害はなかったが、秋田県人は隣県の岩手県や、東北一の都市仙台などには多くの縁があり、私も就職したあと仙台に14年間勤務していたことがあった。故郷秋田でも被災した近県の人々を支援するための様々なイベントが開かれている。秋田を離れて数十年を経た我々としても秋田の人々と連携し東北を支援したい思いがあった。個人的にはチャリティや直接寄付することはあったが、今回はイベントの主催者の一人になった。
 今回の東日本大震災で、秋田ふるさと応援団としても東北にエールを送ろうということで、「3.11東北・東日本大震災チャリティの集い」を7月2日に開催した。
発足当時は、8月に控えた同窓会会報の編集会議などと予定が重なりこちらの会合に参加できなかったが、会の推進役である委員の熱意にほだされ多くの時間をつぎ込むこととなった。
秋田ふるさと応援団のホーム・ページにも報告の寄稿をしているが、こちらサイトではプライベートな観点から述べてみた。
後で追加したYouTube動画は、私のデジカメで撮ったもので、映像ととくに音声は、カメラに付属しているマイクで撮ったもので素晴らしさを再生できてはいない。

「秋田ふるさと応援団」のホーム・ページ



 秋田工業高校出身で新日鉄釜石ラグビーの社会人7連覇の前期で活躍した釜石ラグビー協会会長の佐野(旧姓細川)正文氏が津波で亡くなり、釜石ラグビーチームが復興支援に立ち上がった。釜石市民から支持されていた釜石ラグビーチームには多くの秋田県出身者がいた。
私の母校秋田工業高校は高校ラグビーで全国優勝15回を誇りラグビー名門校と言われた。私が高校2年のとき12回目の全国優勝をした。この時の優勝メンバーであった双子の細川兄弟の弟直文君と同級生であったことから、私が細川君との連絡係となった。
細川君のチャリティへ出席依頼から、佐野氏の社会人ラグビーで使用した赤のジャージの借用などをお願いした。
 左の写真は、細川君から借りてチャリティのパンフレットに載せた佐野氏還暦の時の写真で、一緒に映っている奥さまと、奥さまのお母様も今回の津波の被害者になった。

チャリティに先立ち、マスコミに発表して宣伝していただいた。永田町の秋田県東京事務所で、各新聞社に説明会を開いた。 読売新聞、サンケイ、スポニチ、秋田魁新報に掲載してもらった。

秋田県の各高校卒業生が、地元の関係する企業や、著名人にチャリティ出品のお願いした。
こちらはバザール会場。秋田は酒の国である。多くの秋田県の酒元から続々と賛同の寄贈があった。
日本酒に詳しい人が、いい酒が安いといって5本も買い、その酒を会場でみんなにふるまったらしい。

秋田銘酒ばかりではない、味噌・醤油・漬物・お菓子なとも送られてきた。担当幹事の家では置き場所に困ったという。

可愛いクマのぬいぐるみ、私も後で買おうと思っていたが、完売で買えなかった。
 最初、対で1,000円と値をつけたが、詳しい人がいて、チャリティは高く売りつけるのではなく、購入した人がチャリティの目的に賛同し良い買い物をしたと喜んでもらうのが目的という。納得。突然300円に書き換えられた。

こちらは秋田出身著名人の色紙・絵画・書籍のコーナー。これらはオークションに掛けられる。

田中角栄元首相のホールインワン記念手ぬぐい。ある人がゴルフをしていたとき、2組前の組で田中角栄氏のホールインワンを目撃しクラブハウスでおめでとうといったら、住所氏名を尋ねられ後で送ってきたらしい。ゴルフ好きの人が購入した。

チャリティの集いはインターネット動画USTREAMで秋田県にもLIVEで配信された。撮影など専門の業者にお願いし私がホーム・ページからリンクを張った。 当日参加できなかった人や秋田の地元紙でも紹介され好評であった。

UTSREAMの入口

三平会長挨拶。スタッフは全員これも秋田県出身者から寄贈されたおそろいのTシャツを着用。

新日鉄釜石ラグビー部が全国制覇したときのジャージ。借用したいという武内実行委員長からのたっての頼みで私が細川君に頼んだ。
7番が佐野正文氏、11番が細川直文君のもの。

昭和40年に秋田工業高校が12回目の全国優勝したときのビデオが上映された。私が細川直文君から借りて、DVDにダビングした。VHSテープ用のビブオ装置がなかったので、麹町の秋田市東京事務所のビデオを借りてダビングし、そこで確認してから持ち帰り自宅のビデオで写したところ、映らなかった。ダビングした装置以外のビデオでみる場合は、ファイナライズという操作が必要ということが解り再度麹町まで出かけた。 45年を経過してだいぶ映像が劣化していたが、その分懐かしい映像であった。

亡くなった佐野正文氏の双子の弟細川直文君は私の高校時代の同級生である。今回兄への思いを語ってもらいたいとの依頼を受けてもらった。心のこもった良い語りでした。

私が最も期待していた、秋田県西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)。鎮魂の踊りが照明を落として披露された。
西馬音内盆踊りは、阿波踊り、郡上おどりと合わせて日本三大盆踊りと呼ばれており、起源は鎌倉時代(正応年間1288年から1292年)と言われている。重要無形民俗文化財。

西馬音内盆踊りの端縫い衣裳は、特有の美しい踊り衣裳で、女性の踊り手が用いる。四種も五種もの絹布(けんぶ)をはぎ合わせたもの。
踊り手の皆さんは秋田の文化を学ぶ会のひとたち。他の人と同じく会費を支払っての参加。





釜石ラグビーチーム「釜石シーウェープス」から参加した石山次郎氏と高橋氏。 新日鉄釜石ラグビー部が廃止されてから、市民共生型クラブチームとして発足した「釜石シーウェイプス」。 チーム名と似ている津波で大きな被害を受けても、人は海から離れては生きていけない。
釜石シーウェイブスは災害復興支援組織として「スクラム釜石」を創った石山次郎氏は代表。二人とも秋田県出身のラガーである。 市民クラブチームとして資金難で、サポートを呼びかけた。私も細川君からの依頼で年会費2,000円の会員登録に応じた。

秋田県五城目町出身のテノール歌手二期会会員の斉藤忠生氏。さすがプロのテノール歌手であるしみじみと心に響いた。




佐野氏の長男も駆けつけてくれた。見事な体格でさすが父からのDNAを受け継いでいる。ラグビーではなくバスケットをしているとのこと。一度に、両親と祖母を亡くした悲しみはいかばかりかと思った。

秋田県出身女優 浅利香津代さんが献杯の音頭を取った。浅利さんは秋田市駅前にあった浅利旅館の娘であった。女優として多くの映画やテレビ出演をしている。最近は活動拠点を秋田に移しているようだ。

チャリティボックスを持った女性からにっこりと頼まれては、応じないわけにはいかない。

同級生細川君と。高校時代は隣の席であった。今回、佐野氏の実弟として多くの依頼に応じてくれた。

ビッグバンド YOKOTE HEROES は秋田県横手高校ブラスバンド部出身の東京OB会員で構成されており、各種催し物で人気。

YOKOTE HEROES の女性ボーカル。水色のワンピースの女性は 涼森有羽子 (すずもりゆうこ)さん。私と同じ秋田県大仙市出身。





メインエベント、チャリテーオークションの開始。相当な数の出品物をさばく手際の好さに感心した。 挙手のなかったものは、出品者と同じ同窓会に半ば強制的に売りつけたこともあったが、みなさん笑顔で応じていた。

フォーシーズンホテルディナーギフト券や、豪華客船のディナー付き乗船券などは一瞬で落札。狙ったものを落札した人も、義理で応じた人も、皆さんで被災者を支援した。

釜石シーウェープスのサイン入りラグビーボールは記念写真のおまけ付き。秋田県出身女優 浅利香津代さんも参加。

最後に全員で「ふるさと」合唱。
「うさぎ追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川.........忘れがたき 故郷(ふるさと)」。涙がこぼれそうになり、最後まで唄えなかった。

私の故郷大仙市出身の男鹿和雄氏の色紙。私がオークションで購入した。男鹿氏から心のこもった手紙も添えられていた。
男鹿氏は宮崎アニメの背景画家としても有名であり、私の子供のころのいなかの風景画も書いており、私のホーム・ページのプロフィールページの背景にも使わせてもらっている。

おなじく男鹿和雄氏の絵。立派な木製の額におさまっての提供。