東京電力計画停電

交通安全協会出動

2011/03/17,18

今回の東日本大震災で、東京電力の計画停電予告があり、町田市は第2グループと第5グループとなり、我が家は第2グループと思われるが、同じ町内でもグループが別れる程に、実際の配電は複雑である。 3月15日に私が所属する町田市交通安全協会の連絡網で16日夕方18時20分から22時まで交差点に出動要請があった。
今回の計画停電は輪番になっており、夕方18時20分からの時間帯は前日15日の予告で、16日は別の時間帯である。問い合わせたところ、停電とは関係なく出動とのこと。何のために出動するのか、意味不明。
この日は平年より気温がだいぶ低く2月頃の気温の予報であった。早めに夕食を済ませ、制服に着替えようと思っていたら、出動中止の連絡があった。これまで、この地域の予告停電は中止となり一度も実施には至っていなかった。

次の日3月17日に再び、出動要請があり、今度は五日間の停電スケジュールに合わせての要請。3月17日は、12時20分から16時まで。18日は9時20分から13時までとなっている。
ニュースによると他停電地域の信号のない交差点で死亡事故が発生している。しかしながら、警察官と違い責任範囲が明確でない交通安全協会員としてどこまで出来るかと思いながら、支給されていたビニール臭い黒いオーバーコートを着て指定の交差点へ出動した。行く途中、バス停などにいる数人から「停電はあるんですか」と聞かれた。

以前、囲碁で知り合った警視庁警官から、私が協会に入会したことに対して「交通規則にのっとった歩行者の安全確保に徹し、車の誘導は決してしないように。警察管と違い何があったときは誘導した本人の責任になるから。」と話してくれた。
ところがこれまで実際出動してみると、先輩会員などは、頻繁に笛を吹き、オレンジ色の誘導等を振って車を誘導している。何か規範となる書類などあるかと聞いたところ、「おいおい解る」とのこと。

ともかく、3月17日指定の交差点に行ってみると、警視庁の警官が2人いた。そのうち突然信号のライトが切れた。 警官が交差点の中央に出て、笛を吹きながら両手で交通整理をし始めた。それをみて自分として何をすべきが解った。交通整理の警官の指示を的確に通行する車の運転手に伝えようと思い実行した。車を誘導する権限はないが、警官の指示を伝えるのは問題ない。

警官は実際の交通状況に応じてさばくので、信号があるときより交通はスムーズである。ガソリン不足により、通常より車の交通量がかなり少ないこともあった。ある自転車の女性も「通っていいんですか?あら、信号より早いわね」。
こちらも必死に道路に出ている警官の動作をみて、横断歩道の脇からドライバーにオレンジ色の誘導灯で指示を伝える。 15時過ぎになると急に気温が下がり、鼻水がでてきて手がかじかんで来る。 16時までの予定の停電が15時30分ころ終了した。一度も休みのない慣れない作業で、相当な疲労感を覚えた。帰宅し風呂に入るまで体が温まらなかった。よくいわれることであるが、東北で被災された人の苦労を思えばなんでもない、と自分に言い聞かせた。

翌日18日は9時20分から13時までの予定。この日は、少し慣れたことや、気温が前日よりかなり高かったため比較的楽であった。

19日(土)は朝6時半から10時までの予定であったが、幸いなことに計画停電は中止となった。

ところで、我が家でも2008年にガス漏れがあったこともあり、百数十万円かけて給湯、暖房、調理器具を電化した。東京電力は地震前までは盛んにオール電化を進めていたが、未曾有の震災とはいえ今回の停電では多くの人により不便な生活を強いる結果になり、今では節電を訴えている。自己責任とはいえ、供給側にも責任はある。

停電直後の交差点。運転する側は、突然信号が消えるのは大きな不安を感じる。(3月17日)

ヘルメットを着用した警視庁警察官の交通整理。

交差点で交わる東西方向の道路は直線であるが、南北方向は変則S字型で、見えにくい。(3月18日)

大型車両が通ると警官の姿は見えにくくなる。(3月18日)