戻る

平成25年度東京秋工会総会・懇親会

平成25年11月2日

私が役員として参加している東京秋工会の平成25年度総会・懇親会が11月2日(土)午後13時からアルカディア市ヶ谷(私学会館)で、18名の来賓と102名が出席し開催された。

母校校長から学校長挨拶があり、母校の状況報告があった。
来年、母校は創立110周年を迎える。私が在校生の時創立60周年だったので来年半世紀を経ることになる。

メインイベントの一つ「講演」は、昭和34年卒業の同窓会会員で、在日韓国人、美術品コレクター、メセナ活動家の河正雄(ハ ジョンウン)氏から「メセナと私」と題しての講演があった。

河氏は、1939年東大阪市で在日韓国人の両親のもとに生まれ、1948年、父親が東北電力鎧端発電所の工事従事者として働くことになり、秋田県仙北郡生保内へ移った。当時から頭がよく、中学校は1番で卒業し、秋田県立秋田工業高校機械科に入学した。高校時代の三年間生保内から3時間かけて秋田市の高校まで汽車で通ったとのこと。

当時は、中学校では1番でも経済的に大学にいけない生徒は、進学校である秋田高校ではなく、秋田工業高校へ進学した、というのは私の中学校と同じ。秋田の田舎の中学校のおおよそ半分は集団就職で都会にいっていた時代である。これらの生徒は金の卵と珍重され、その後に続く日本の高度成長を支えることになる。
 私が小学校、中学校の頃朝鮮人の同級生が数人いたが、いずれも家は先祖から譲られた田畑もなく大変貧しく、何重にも膝などにつぎ布をあてたお古の学生服を着ており、弁当もご飯に納豆をかけただけのときや、持ってこれないものもいた。すぐ泣くのでいじめたこともあったが、今にして思えば気の毒なことをしたと思う。

河氏は、高校卒業後、埼玉県の電気工事会社に就職したが、のちに退社し電機商事会社を設立し、同時に美術品収集を始めた。これが成功し今日をなしている。2012年韓国文化勲章受章。

以下講演要旨。
 「メセナは、ローマ帝国時代アウグスティヌスに使えたメセナウス(Gaius Cilnius Maecenas)が文化・芸術の擁護や育成に尽力したことに由来する。おおよそ1970年代にアメリカ、1980年代にヨーロッパ、1990年代に日本、2000年代に韓国で広まった。若い頃、アメリカの慈善活動家カーネギーの伝記に感銘を受けた。高校時代に美術クラブを創るなど美術に興味を持ったことが、後に美術品コレクターとなる基になった。25才から在日朝鮮人の絵を中心に収集をはじめた。35才のとき京都の松倉和尚から、「あなたは両腕に良いものを持っているが、片方は捨てて、その手を人のために役立てることにより、自分も救われる」との教えを受けた。41才の時、つらい思いの多かった生保内の同級生から暖かく迎えられ、ふるさとの有り難さを思い、生保内に図書館を開設した。
韓国光州市の美術館に美術品寄贈。光州市に盲人のための福祉会館の建立を勧め、後に韓国全国に広まった。 メセナは企業による文化擁護となっているが、個人でも活動している。」

「懇親会一部」の来賓挨拶では、秋田県東京事務所所長明石直樹氏より、秋田デスティネーションキャンペーンと関連して秋田県立美術館が新しく開設されたことについてのご紹介があり、またスポーツ立県秋田を応援してほしいとのこと。

 同窓会員のラグビー後援会会長・秋田県議会議員から、母校の全国大会出場の際は資金面での援助の依頼があった。
ブラジルで中華料理店を営んでいる参加者に、遠来の労をねぎらい、記念の楯と富士山の写真が送られた。

懇親会二部は、副会長の音頭により、日本酒での乾杯となり,ようやくビールがのめた。 昨年好評だった民謡 「長者の山」「秋田節」「秋田おばこ」が演奏された。
歌謡
 シンガーソングライター田口徹(S39E)による「ケセラ」と「リンゴ追分」の演奏があった。

 毎年、健康などの理由で、常連の参加者が減る一方で、今回11名の初参加者があった。

 秋田県出身歌手 順弘子さんの歌謡があり、「クニマスロマン」「秋田旅愁」とブラッキーさんのアクロバットを挟んで、先日NHK BSで1984年の「埋もれ歌」として放映された「さっそく振り込みありがとう」と、鉄腕アトムの替え歌を歌った。
 ブラッキーさんによるアクロバットがあり、椅子を使ったパフォーマンスなどを披露。
余興として幹事長の奥様他による色鮮やかな琉球衣装をまとわれた琉球舞踊があった。

応援歌「副歌」を全員で歌い、副会長による中締めとなった。

その後多くの参加者は別会場での2次会に参加した。

 

新年度2月から始まる同窓会会報の編集会議は、8月の発送作業で一区切りとなるが、9月から11月の総会に向けての準備に入る。 関東地区のおおよそ2,000人の同窓会員がおり、役員は多忙である。全くの無報酬であるにも関わらず我が儘な会員がおり、クレームや面倒な要望を寄せてくる。私自身は役員会が行われる第四土曜日は定例碁会があり欠席することがあるが、メールレベルで行える作業を担当している。ときおり心ある会員から感謝されるために時間を割いているようなもの。



動画「長者の山」

*video対応ブラウザ用

受付準備完了

ブラジルからの参加

ハイキング同好会の写真展示

写真同好会の写真展示

歌の旅人といわれている田口徹氏による鎮魂歌「哀しみの池」。昭和20年8月14日夜、秋田市土崎の空襲で出来た穴が池となった、ことを歌っています。作詞は高校同級生の伊藤昇氏

三平会長挨拶

秋田県東京事務所所長明石直樹氏

ラグビー後援会会長・秋田県議会議員瀬田川栄一氏

講演 河 正雄氏。予定時間超過となりましたが、感銘をうけました。

来賓の皆様

ブラジルからの参加者

初参加のみなさん

歌手 順弘子さん。和服もしっとりしてお似合いですが、華やかなドレスも素敵でした。

シンガーソングライター 田口徹氏

ブラッキー氏のアクロバット。ハラハラさせられましたがお見事。

来賓もサポート

ブラッキー氏からのプレゼント

副会長の音頭で乾杯

セミプロレベルの会員による民謡。三味線の音が入ると盛り上がります。

津軽三味線

琉球舞踊

琉球舞踊

琉球舞踊

琉球舞踊

「副歌」斉唱 応援団長

中締め 副会長

順弘子さんと副会長(二次会場)