「がんばらない」という言葉は、怠け者、無気力、やる気がないなど、悪いイメージを持たれがちですが、ここでは「リラックスする」「身構えない」「突っ張らない」という意味で使っています。
高齢になったら、勝負にシャカリキにならない生活を送ることこそが、身体を長持ちさせるコツです。私は電車に乗るとき、発車時間の1分前にホームへつながる階段の下にいても、よほど急ぎでない限り決して駆け登らないことにしています。高齢者が突然駆け出すと、脈拍は100以上になり、呼吸は乱れ、血圧も急上昇します。心臓に負担をかける行動はてきめんに不整脈の原因となり、時にはそれが引き金となって心筋梗塞や心不全を引き起こし、心臓が止まってしまうかもしれません。
若い人は「復元力」を持っていますが、60歳を過ぎたらその復元力はあてになりません。70代、80代になったら、もはや復元力はないものと覚悟したほうがよいのです。したがって、高齢者は復元力を期待するような激しい行動は慎んだほうが無難です。
誰でも乗り物の中や休んでいるときに「ぼんやり」することがあります。そんなときでも脳は休むことなく、次に入ってくる情報の受け入れのために、それまでの情報をせっせと整理しています。その間に、本人がそれまで気がつかなかった素晴らしいアイデアを引き出してくれることがあります。ぼんやりすることは、決して無駄な時間ではありません。一日の中で何時間かぼんやりしているときにこそ、新しい発想が浮かぶのです。不幸にも何も浮かばないときは、「今回は掘り出し物がなかった」とあきらめることです。
世の中には無駄と思われることが多いといわれます。しかし、無駄であってもそれが自分にとって必要とされることであれば、「役に立った」と考えるべきでしょう。現役で働いているときは毎日の仕事に追われて余裕のない生活でも、退職して誰にも気兼ねなく、何にも拘束されない生活になったら、心にも余裕が持てるようになります。しかし、こんな日が1年も続くと、やがてどのようにして一日を過ごすかに苦慮することになります。一見、無駄に思える毎日であっても、自由な時間をうまく活用することにより、加齢に逆らって体力や能力を保つことができます。
商売を成功させるためには無駄を省くことが必須条件と言われますが、実は「必要な無駄」というのもあります。時には無駄と思われる顧客との付き合いも、それが大きな商売につながることがあります。また、酒癖の悪い上司に誘われて居酒屋でわけもなく説教されることがあっても、それを「時間の無駄」「くだらない話」と切り捨てるのではなく、「いつかは役に立つことがある」と前向きに捉えてみましょう。上手に「日常の無駄」と付き合うのも、一つの世渡りのコツかもしれません。
【コラム】アリの習性と無駄
昔、こんな話を読んだ記憶があります。100匹の働きアリがいると、必ずその中の20匹は、みんなが働いているときに働かずにサボっているそうです。そこで、怠け者の20匹を排除して残りの80匹にすると、不思議なことに、そのうちの2割がまた新しく働かなくなってしまいます。これは全体の数が何匹になっても同じで、必ずその集団の2割は働かないという、アリの面白い習性です。「無駄」に見える20匹の存在が、まわりのバランスを保っていることもあります。無駄なことは、場合によっては大いに役に立っているのです。
世の中には、いくら体調が苦しくとも「病院だけは行きたくない」というご老体もおります。人それぞれの考え方ですので、他人がとやかく言うことではありません。
ただ、病院へ行くと診察室の中では医師と患者の間で、おのずと上下関係が出来上がってしまいがちです。患者の言うことにほとんど耳を傾けず、血液検査や尿検査の結果だけを頼りに判断する医師は、名医とは言えません。医師が患者にいろいろ質問することを「問診」と言いますが、この問診の上手な医師こそが名医です。
問診をうまく進めるためには、患者側の協力も必要です。例えば、「いつごろから熱がありますか」という質問に対して、「少し前から」と曖昧に答えるのではなく、「昨日から」「2日前から」と具体的に数字を出すことが大切です。
昔の医者は必ず「触診」をしました。お腹の具合が悪いときに腹部を押してもらい、「特に悪いものはないようですね」と言われると、患者はそれまで「癌ではないか」と恐れていた不安から解放されて安心します。また、聴診器で腸の音を聞いて「腸は問題なく動いています」と言われるとホッとするものです。最近はこの触診をする医師が少なくなりました。
診察のときに「この程度でしたら大丈夫です」「かなり治ってきましたね」などと言われると、患者は救われます。直ちに命にかかわることではない限り、患者に余計な不安を与えることを言わないのがベテランの医師です。診察室での患者は、いかに不安を取り除いてくれるかを望んでいるのです。
このような経験に基づく診断が、最近では「科学的診断」に変わりました。医療技術の進歩により、CTやMRIなどの画像を見ながら受ける説明は、それまでの経験のみに頼る診断よりも、素人の患者にとって分かりやすいのは間違いありません。今やCTやMRIという用語は、一般の患者でも知っているほど欠かせない診断手段になりました。
しかし、患者に対する医師の説明の仕方にはまだ問題があります。専門用語の羅列ではどうしようもありません。多くの患者は「医師の説明は最初から難しいもの」という先入観があるため、説明を聞いても上の空になってしまいます。もし理解できないことがあれば、遠慮せずに医師に質問することです。医師にとっても患者からの質問は歓迎すべきはずであり、それをうるさがる医師は「ダメ医師」と言わざるを得ません。
薬の説明についても同様です。心臓の薬をもらった患者が、医師から「この薬は多くの患者に使われていますが、使い方を間違えると突然死する人もいます」と言われたらどうでしょう。たとえ死亡者が何万人、何十万人に一人であっても、患者にとっては大きなショックです。診察室の中では、患者は必要以上に神経質になり、怯えています。こんなとき、ベテラン医師だったら患者の心のうちを読み、不安にさせないよう配慮して「何万人に一人くらいは副作用が出ることがありますが、心配いりませんよ」と説明するでしょう。そう言われて初めて、患者は安心してその薬を飲むことができるのです。
最近は多くの病院で「電子カルテ」が普及しています。その中には患者に関するすべての情報が収納されており、同じ病院の他の診療科にかかったときでも、医師はその内容を共有することができます。
しかしその反面、診察のときに医師が患者の顔を見ず、机の上の画面とにらめっこばかりしている光景が増えました。そんな医師の態度に腹を立てた患者が、「こっちを向け!」と後ろから殴りかかったという実話があるほどです。
画面に集中してしまう医師とは違い、ベテランの医師は「だいぶ良くなってきたので、あと一歩ですよ」とか「今日は顔色がいいですね」などと患者に語りかけます。これで患者は深く安心します。このように、患者に話しかけて安心させる治療を、医学用語で「ムンテラ」といいます。ムンテラとはドイツ語の「Mund(口)」と「Therapie(治療)」を組み合わせた略語で、日本語では「言葉による治療」を意味します。
すぐに目に見える大きな効果が期待できなくとも、医師が患者と密接にコミュニケーションをとることは、副作用を心配しながら飲む薬よりも、はるかに病状の改善に役立つのです。
「病は気から」という言葉があります。気分が落ち込んだり塞ぎ込んだりすると、体調も崩れて病気になりやすくなります。逆に「必ず治る」という希望や「助かりたい」という強い気持ちを持つと、病気は良い方向に向かいます。この「前向きな感情を持つ」という行為は、身体のすべての働きをコントロールしている自律神経を通して、症状を回復させるためにとても重要です。
どんな患者でも、担当医からは自分の病気やこれからの見通しについて、少しでも多くの情報を知りたいと願っています。しかし、研修医や若手医師は、患者の質問に対して多くを語らないことがあります。そんな態度に、患者は「あの先生は頼りない、何も教えてくれない」と不満をもらすことがあります。
しかし、これは若手医師個人が悪いのではありません。先輩医師から「患者には余計なことを言うな」と教育されているからです。なぜなら、必要以上の情報を伝えられた患者が、勝手に「必要以上に安心する」「必要以上に心配する」といった混乱を避けるためです。病院の内部は今でも厳格な「上意下達」の世界であるため、若手医師が個人的な判断で病状についてベラベラと話すことを避けているのが実態なのです。
病棟の若手医師たちは、夜遅くまで担当患者の手当てにあたっています。若手医師や研修医の場合、臨床経験が少ないため、患者としては「大丈夫かな」といささか不安になるかもしれません。しかし、そんな心配は無用です。
多くの病院では、各患者の治療方針について、内科や外科などの診療科ごとに頻繁に症例検討会(カンファレンス)を開いています。そこでは若手医師が担当患者について詳細な説明を行い、それに対して教授や先輩医師から今後の治療方針について様々なアドバイスを受けます。したがって、若手の主治医であっても、個人の意志だけで勝手に治療方針を決めているわけではありません。上司やベテラン医師の意見が十分に反映された治療が行われているため、安心して任せて大丈夫です。
お酒を飲むと、アルコールは全身の血管を広げ、一時的に血圧を下げます。そして、アルコールが運動を司る「小脳」に達すると、そこが麻痺して足元がふらつくようになります。さらに酔いが進み「覚醒中枢」が麻痺すれば眠気が襲い、最悪の場合、呼吸を司る中枢が侵されて心肺停止に至る危険もあります。
「昨夜はどうやって帰ったか覚えていない」という現象は、医学的に「ブラックアウト」と呼ばれ、脳の記憶を司る「海馬(カイバ)」が一時的な麻痺を起こしている状態です。これは一種の脳障害であり、高齢者がこれを繰り返すと、脳梗塞や認知症の引き金になりかねません。
昔から「二日酔いには迎え酒」という俗説がありますが、これに医学的根拠はまったくありません。単に酒好きの人々が言っている俗説です。前夜の大量のアルコール処理に疲れ果てている肝臓に、さらにアルコールを投入するのは追い打ちをかけるだけであり、負担を大きくするだけです。迎え酒で二日酔いが改善したように錯覚するのは、再び酒を飲むことで気分が高揚し、頭痛や吐き気などの不快な症状を一時的に「忘れている」だけに過ぎません。
人格が変わらない程度の適切なアルコール量は、1日で日本酒1〜2合、ビールなら大瓶1本、ワインなら2日で1本程度です。しかし、晩酌で毎日4合以上の日本酒を飲み続けると、20〜30年後にはアルコール性肝炎から肝硬変になり、最終的には肝がんへと進行します。過剰なアルコールは、毒性のある薬と同じ理屈で身体を蝕みます。
居酒屋でアルコールの毒性を考えながら飲むのは興ざめですが、深酒にならない程度に楽しむお酒は「百薬の長」です。吉田兼好の『徒然草』には「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ」とあります。ほどほどにたしなむ程度なら百薬の長ですが、飲みすぎて溺れてしまえば「狂い水」になります。その反面、お酒は人間関係を円滑にする「幸せ水」でもあります。特に日本人の場合、親しくなりたいときや本音で語り合いたいときなど、酒の席があることによって意思疎通がスムーズになるのは確かです。
ロシアやフランスではウォッカやワインを浴びるほど飲むため、肝臓がんの患者数が非常に多い国です。若い頃の暴飲暴食の影響は、20〜30年後に現れます。お酒に強い人が、必ずしも肝臓の働きが良いとは限りません。お酒に強い人はたくさん飲めてしまうため逆に肝障害を起こしやすく、お酒に弱い人はたくさん飲めないため、結果的に肝臓を悪くしにくいのです。ほどほどに飲むのが、最も楽しいお酒の飲み方です。
アルコールの影響には大きな個人差がありますが、これは主に遺伝によるものです。日本人の約4割はお酒に弱く、1割は一滴も受け付けない「超感受性」です。残りの5割がいわゆる「お酒に強い」人々です。
私はこれまで世界30カ国を訪問しましたが、欧米の方々はいくら飲んでも顔色一つ変えません。彼らにとってビールは清涼飲料水のような感覚ですが、それは肝臓の解毒能力が日本人とは比較にならないほど高いからです。
昔、韓国に頻繁に行っていた頃、歓迎会の宴会が盛り上がると「原子爆弾」という恐ろしい飲み方がありました。焼酎をなみなみと注いだ小さなグラスを、ビールで満たしたコップの中に浮かべ、一気に煽るという豪快な飲み方です。韓国人はお酒に強いため、この手の飲み方が好まれていました。中国や台湾でも「カンペイ(乾杯)」の合図で杯を完全に空にするのが礼儀とされています。
下戸である私は、あらかじめウーロン茶やジュースを用意しておき、周囲に合わせて乾杯します。無理をして周囲に付き合う必要はありません。飲み物の中身が何であれ、その場の雰囲気を共有することこそが最大のもてなしになるのです。
1981年に国際会議でメキシコへ行ったとき、夕食会でテキーラを出されましたが、一口飲んだだけで口の中が火の海になるほど強いお酒でした。私が下戸であることを伝えると、代わりに甘いカクテルが出されました。甘さに紛れて飲んだものの、それもベースはテキーラだったため、その夜は心臓がバクバクして大変な思いをしました。
次はタバコです。タバコには約60〜70種類の発がん物質が含まれています。喫煙による代表的な病気がCOPD(慢性閉塞性肺疾患)です。以前は「肺気腫」や「慢性気管支炎」と呼ばれていましたが、これらは有害物質を長年吸い込むことで肺が破壊される、いわば「タバコ肺」です。進行すると常に酸素吸入器が必要な生活となり、肺がんのリスクも5〜10倍に上昇します。
タバコの害は肺だけにとどまりません。長年喫煙していると心臓の働きが悪くなり、動脈硬化、狭心症、心筋梗塞の原因になります。動くと胸部に痛みがあり、休むと楽になる、あるいは息が切れるといった狭心症の症状がある場合は、心エコー検査を受けることをお勧めします。
さらに、タバコのもう一つの大きな害は、周囲の人を巻き込む「受動喫煙」です。家族が受ける受動喫煙の被害は、時に喫煙者本人を上回るとも言われています。自分のため、そして大切な家族のために、今この瞬間から禁煙を実行することが、最も有効な治療であり予防なのです。
私は学生時代から紙巻きタバコを吸い、40代の頃にはパイプタバコを愛用していました。当時は教授室の廊下にまで匂いが漂い、周囲に眉をひそめられたものです。しかしある年の正月、風邪で喉を痛めて1週間ほど吸わずに過ごしたところ、それを境に自然と禁煙することができました。
また、私は遺伝的にお酒に弱く、ビールコップ1杯で顔が真っ赤になり、2時間以上も激しい動悸が続きます。そのため、40代で飲酒もきっぱりとやめました。今でも健康診断で採血するときには、消毒用アルコールではなく、アルコールの入らない消毒薬をお願いしているほどです。
友人の循環器内科医の話によれば、「酒とタバコを体内に入れない人は、一般的に長寿です」とのことです。いわば身体への害と戦わずに避ける「不戦勝」こそが、長寿の秘訣かもしれません。
私たちは毎日の食事から、気づかないうちに必要以上の塩分を摂取しています。秋田県は、昭和30年代までは高血圧による脳卒中(脳梗塞と脳出血)の患者数が全国一でした。当時、多くの県民はしょっぱいものが大好きで、それを生涯の食習慣として続けていたのです。当時の資料によると、県民の1人1日あたりの塩分摂取量は、驚くことに30〜40グラムと記録されています。
その後、県内関係者による積極的な減塩運動や、昭和43年の県立脳血管研究センターの新設などを経て、今では脳卒中患者数全国一の汚名から脱出することができました。
塩分を摂りすぎると、高血圧や胃がんのリスクが高くなると言われています。そうはいっても、塩分は身体にとっての必需品であり、不足すると体調不良を引き起こします。塩分の主成分であるナトリウムは、全身の細胞の構成成分の一つであり、これが不足すると心臓のリズムが乱れてしまうからです。このように、ナトリウムは摂取量によって悪玉にも善玉にもなります。
血圧は精神的・身体的な活動によって常に変動しています。朝の目覚めとともに上昇するため、朝一番の血圧は高めになります(早朝高血圧)。日中は活動しているため比較的高く、夜になると下がり、睡眠中が最も低くなります。このリズムが一日の中で一定であれば、早朝に血圧が多少高くとも大きな問題はありません。
高齢者の血圧の特徴は、上の血圧と下の血圧の差が開くことです。また、下の血圧は正常であるのに、上の血圧だけが高くなるのも高齢者特有の現象です。日本高血圧学会は、高齢者の血圧の正常値を「130/85mmHg未満」とし、高血圧の持病を持つ高齢者の降圧目標を、60代で140/90mmHg、70代で150/90mmHg、80代以上で160/90mmHgと設定しています。
血圧の個人差には、遺伝や生活環境が大きく影響しています。食塩摂取量が非常に少ない地域で暮らす人は、年齢を重ねても血圧が低いままの人が多いです。また、血圧は季節によっても変動し、冬は高く、夏は低くなる傾向があります。
食塩を大量に摂取すると、正常血圧の人であっても血圧が上がります。高血圧の持病がある人は、さらに上がりやすいことが分かっています。過剰な食塩を摂取したときの血圧の上昇度合いには個人差があり、腎臓の働きが悪い人や、高齢になるほど上がりやすいのが特徴です。
食塩の摂りすぎによって高血圧の状態が続くと、血管や心臓に大きな負担がかかり、動脈硬化や心臓肥大が進行します。その結果、脳卒中や心筋梗塞、心不全、不整脈、腎不全など、多くの循環器疾患を引き起こすことになります。高血圧は、循環器病における最大の危険因子なのです。
健康な人の血液中の塩分濃度は0.9%に保たれています。救急搬送時などに病院で使われる点滴(生理食塩水)も、血液と同じ0.9%の濃度です。
塩辛いものを食べると血液中の塩分濃度が高くなるため、身体はそれを薄めようとして喉が渇き、水分を欲します。しかし、水分を摂ればその分だけ血液の量が増えます。心臓や血管の容積は決まっているため、その中で血液が増えすぎると、脳からの指令によって血圧が上がり、余分な水分と塩分を排泄させようとします。そのため、水分を多く摂ると、腎臓の働きが正常であればトイレに行く回数が増え、余分な水分や塩分が体外へ排出されます。これはまさに、身体の見事な防御作用が働いている証拠です。
日常的に「塩分」と呼ばれているものは「食塩」のことですが、高血圧の真犯人は食塩に含まれる「ナトリウム」という成分です。「食塩量=ナトリウム量」ではなく、食塩の約40%がナトリウム量に相当します。つまり、10グラムの食塩の中には、約4グラムのナトリウムが含まれていることになります。
かつては食品の容器に「ナトリウム」として記載されていたため、消費者が食塩相当量を計算式で割り出す必要があり、煩雑でした。そのような不便を避けるため、2015年4月に施行された「食品表示法」により、それまで義務表示だった「ナトリウム」は「食塩相当量」として表示されることになりました。これにより、店頭に並んでいる食品の表示を見るだけで、直感的に食塩の量が分かるようになっています。(※食品によっては、「ナトリウム2.6g(食塩相当量6.6g)」のように併記されているものもあります。)
ここまでの話ではナトリウムが悪者のように思われがちですが、決して悪い側面ばかりではありません。体内ではナトリウムと水分は一緒に移動するため、炎天下のスポーツなどで脱水状態になると、ナトリウムも同時に不足して血管が緩んでしまうことがあります。熱中症のときなどがその典型であり、このような時には水分補給とともに適度な塩分の供給が絶対に必要です。塩分は身体にとって必須成分であり、問題なのはあくまで「度が過ぎること」です。
過剰な塩分は悪玉ですが、逆に摂取量が少なすぎても身体の機能を損ないます。アメリカの病院で約20万人を対象に、食塩摂取量と疾患の関係を調査したデータがあります。対象者の1日の塩分摂取量は2〜13グラムの間であったため、摂取量ごとに4つのグループに分けて詳しく調べました。その結果、驚くべきことに、塩分摂取量が最も少ないグループの人が脳卒中や心筋梗塞などを起こしやすく、最も短命だったのです。それに対して、塩分を比較的多めに摂るグループのほうが長命という結果が出ました。
確かに、塩分の摂取量が極端に少ないと血圧が下がりすぎて問題になることがあります。通常、低塩食とは1日の塩分が3〜5グラム以下の食事を指しますが、高齢者にとっても1日6〜9グラム程度が適量と考えられます。
熱中症という言葉ですが、昔はこれと似た症状を「日射病」と呼んでいました。「中」という字には「あたる」という意味があります。つまり、「熱や暑さに当たる」というのが熱中症の本来の意味です。「中毒」が「毒に当たる」のと同じ理屈です。
余談ですが、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血を総称して「脳卒中」と言いますが、この意味は「卒然(突然)として邪気に中(あた)る」という意味です。邪気とは「病気を引き起こす悪い風」のことです。ちなみに昔よく使われた「中風」という言葉も、「悪い風に中る」という意味からきており、脳出血後に残る半身不随などの後遺症を指しています。
気温が上がると、身体は自動的に大量の汗をかいて体温を調節します。しかし、大量の発汗は高齢者にとってはかなりの体力を消耗させます。その結果、全身のだるさ(倦怠感)、胃腸の衰えによる食欲低下、気力の衰え、便秘や下痢といった症状が複合して現れるようになります。消防庁の統計によると、熱中症で救急搬送される患者の約半数が65歳以上の高齢者です。
なぜ高齢者が熱中症にかかりやすいのか、それには加齢に伴う明確な理由があります。人間の脳内には、体温を常に36〜37度に調節する仕組みがあります。エアコンのサーモスタットと同じ役割です。真夏の暑いときには、脳からの指令によって身体や手足の血管が拡張し、熱を体外へ放散します。また、汗をかいてそれが皮膚から蒸発するときに気化熱を奪うため、身体を冷やすことができます。
熱中症の原因は温度だけではありません。外気の湿度が低ければ汗が蒸発して体温を上手に調節できますが、真夏日(30度以上)には湿度も75%以上になることが多く、汗をかいても蒸発せずに流れ落ちるばかりになってしまいます。そのため、発汗による体温調節が機能しなくなります。
この微妙な調節を司る脳内のサーモスタットは、加齢とともに働きが鈍くなり、環境の温度変化についていけなくなります。その結果、高齢者は夏は極端に暑がり、冬はどうしようもなく寒く感じるようになるのです。私自身も加齢が進むにつれて、これを実感しています。また、暑い室外とクーラーの効いた室内を頻繁に出入りすると、体温を調節している自律神経がまいってしまい、めまいや食欲低下の原因になります。
熱中症が進行して体温調節機能が異常になると、体温がぐんぐん上昇し、大量の汗、強い喉の渇き、極度の倦怠感などが現れます。さらに悪化すると、吐き気や嘔吐、手足のけいれん、激しい頭痛、めまい、失神、さらには精神錯乱や昏睡状態に陥り、最悪の場合には呼吸や心臓が停止して死亡することもあります。
高齢者の中には、「水を多く飲むとトイレの回数が増えるから」という理由で水分補給を嫌う人もいます。しかし、トイレの手間を気にするよりも、病院へ担ぎ込まれないようにすることのほうが先決です。
熱中症は炎天下の屋外だけでなく、真夏の日中に「室内」でも多く発生します。部屋にエアコンを備え付けていなかったり、あっても電気代を節約しようとしたり、「人工の風を好まない」といった理由でクーラーを使わない高齢者が多いことも原因の一つです。
私たちの身体の細胞は、その約70%が水分で満たされています。熱中症などで身体が脱水状態になると、細胞の働きが低下し、ある限界を超えると細胞は死滅してしまいます。つまり、脱水は「細胞死」に直結するのです。
高齢者は若い頃に比べて体内の水分量が減少しているため、慢性的に軽い脱水状態が続いています。喉が渇いたという感覚に対して鈍感になり、水分を自発的に摂らなくなることが主な原因です。
脱水症状が見られたら、早急に水分と塩分の補給が必要です。市販のスポーツドリンクは塩分と糖分をバランスよく含んでいるため熱中症対策に最適ですが、もし手元にない場合は、コップ1杯の水にひとつまみの塩を溶かして飲ませるだけでも効果があります。
私には、命に関わる忘れられない経験があります。40代の頃、久しぶりに両親と会って家族一同で夕飯を食べていたときのことです。何かの話題で突然大声で笑った途端、口の中の食べ物が喉に詰まり、突然呼吸ができなくなってしまいました。息を吸うことはできても、吐き出すことができない状態です。
私の顔色が次第に紫色に変わり、やがて意識を失う直前でした。それに気づいた父が、急いで私の背中(肩甲骨の間)をげんこつで4〜5回強く叩いてくれました。すると驚くことに、詰まっていたものが勢いよく吐き出され、元の呼吸に戻ることができたのです。
私の父は薬剤官として、戦争中に戦地の野戦病院に勤務していた経験があり、救急処置の正しい知識を持っていたのが幸いしました。もし父の的確な救急処置がなければ、私はその場で心肺停止状態になり、そのままこの世を去っていたかもしれません。それ以来、私は口の中に食べ物が入っているときには、決して大口で笑わないように心に決めています。生理学的に見ても、大口で笑うと急激に空気を吸い込むため、口の中の食べ物がうっかり気管に引き込まれて塞いでしまうのです。
喉の奥には、空気の通り道である「気管」と、食べ物が通る「食道」が隣り合わせに並んでいます。食物が喉の奥へ送り込まれると、のど仏が動いて、喉にある蓋状のものが下向きになり気管の入り口をピタリと閉じます。それと同時に食道が開き、食べ物が送り込まれます。この一連の複雑な動きを「嚥下反射(えんげはんしゃ)」といい、通常は1秒以内に完了します。健康な人であれば、意識せずともこの嚥下反射が自動的に行われます。
食べ物が無事に食道に入ると、食道の筋肉が動き出して食魂を胃へと運んでいきます。しかし、高齢になってこの嚥下反射の能力が衰えると、気管に蓋をするタイミングが遅れ、その隙に食べ物が気管に入り込んでしまいます。これが「誤嚥(ごえん)」です。
誤嚥によって、食べ物や唾液に含まれる細菌が気管から肺へと侵入します。健康な人の肺の中は無菌状態に保たれているため、入り込んだ細菌によって激しい炎症が引き起こされます。これが高齢者に非常に多い「誤嚥性肺炎」のメカニズムです。
普通に食事をしていても、突然喉に詰まらせることがあります。高齢者に特に多いですが、中でも脳梗塞や脳出血の既往がある方、認知症、パーキンソン病などの神経疾患を患っている方では、高い確率で発生します。これが「嚥下障害」です。
高齢者が飲み込みにくくなる原因には、大きく分けて2つあります。
したがって、高齢者が食事をするときには、できるだけ食べ物を小さくカットし、多めの飲み物と一緒にゆっくりと飲み込むことが、誤嚥を防ぐための賢明な方法です。
【高齢者が詰まらせやすい食べ物】(内閣府食品安全委員会資料より)
- もち、ご飯、パンなど、粘り気や付着性が強いもの
- イカ、タコ、きのこ類など、加熱しても柔らかくなりにくいもの
- 海苔、レタスなど、薄くて厚みのないもの
- パン、ふかし芋など、パサパサして水分を含まないもの
- 青菜類など、繊維が強くて噛み切りにくいもの
食べ物は気道だけでなく、「食道」の途中に詰まってむせることもあります。慌てて口に放り込んだときや、口の中の水分が少ない状態で食べたときに、食べ物が胃まで落ちずに食道の途中で引っかかってしまう現象です。食道は全長25〜30センチほどの長さで最終地点は胃につながっていますが、構造上、途中に狭くなっている場所が3カ所あります。食べ物はこの狭くなっているところに詰まりやすいのです。(※ちなみに、食道がんはこの細くなっている3カ所のうちのどこかや、胃とのつなぎ目である「噴門(ふんもん)」付近に発生しやすいことが知られています。)
食道に食べ物が詰まったときも、本人は呼吸ができなくなるほど苦しくなることがあります。このようなときは、水を少しずつ飲んで、引っかかっている食物塊が胃へ落ちるかどうかを試してみます。それでも改善しない場合は、無理をせず直ちに医療機関を受診してください。
激しく咳き込むような場合は、食物が気道に入り込んでいる可能性が高いです。その状態が続くと、もがきながら顔色が紫色に変わり、やがて意識を失います。前述した私の経験はまさにこの状態で、意識を失う寸前でした。気道が完全に詰まった状態が4〜5分続くと、心肺停止に陥ることがあります。
最も簡単な応急処置が「背部叩打法(はいぶこうだほう)」です。私が喉を詰まらせたときに父が施してくれた方法です。患者を座らせるか立たせた状態で、げんこつ(または手のひら)で背中の二つの肩甲骨の間を、力強く、何度も連続して叩きます。この衝撃によって、喉に詰まった食べ物が吐き出されます。応急処置を行っても異物が取れない場合は、一刻の猶予もなく救急車を呼ばなければなりません。
喉に詰まるのは食べ物だけではありません。高齢になると、自分の「唾液」でむせることがあります。夜間の睡眠中に、無意識によだれが気管に流れ込み、それが肺に入ると「誤嚥性肺炎」を引き起こすのです。
ところで、「唾液」「よだれ」「唾(つば)」の違いをご存知でしょうか。医学的にはこれらはすべて同じ成分です。唾液腺から分泌される無色・無味・無臭の液体を「唾液」といい、口から無意識に流れ出たものを一般に「よだれ」と呼びます。そして、本人が意識して口の外へ吐き出したものが「唾」です。
人間の口元には「3大唾液腺」と呼ばれる大きな唾液腺があります。最も大きいのは「耳下腺(じかせん)」で、顎のえらが張った箇所の真後ろ、耳の前下方にあります。残り2つは「舌下腺(ぜっかせん)」と「顎下腺(がっかせん)」で、これらは口の床側の奥にあります。これらに加え、無数の小さな唾液腺が口の中に分布しています。
唾液は、健康な人であれば1日に約1〜1.5リットルも分泌されており、生きていく上で不可欠なものです。口の中には硬い歯と柔らかい粘膜が同居していますが、喋ったり食べたりしても傷つかないのは、唾液が「潤滑油」として機能しているからです。また、唾液にはアミラーゼという消化酵素が含まれており、食物のでんぷんをブドウ糖に分解して吸収しやすくします。さらに、食べ物と唾液が混ざり合うことで適度な塊(食塊)が作られ、飲み込みやすくなります。唾液は単なる水分ではなく、私たちの健康を根底から支える重要な働きを担っているのです。
老化には、誰にでも訪れる「生理的老化(正常老化)」と、病気によって加速する「病的老化(異常老化)」があります。また、別の視点から「身体的老化」と「精神的老化」に分けることもできます。
「身体的老化」は目に見えて分かりやすいものです。例えば、自動車の運転時に必要な条件反射や判断力の低下が挙げられます。最近、高齢者がブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こすケースが多発しているのはその一例です。身体の臓器の老化には個人差が非常に大きいですが、特に脳梗塞や脳出血といった脳血管の老化は、脳細胞の老化につながり、それが「精神機能の老化」を安定的に引き起こします。これを防ぐためには、食生活や運動など、日頃の日常生活を改善することが極めて重要です。
一方、「精神的老化」は本人がなかなか自覚しにくいのが特徴です。その一つの目印が「記憶力の低下」です。記憶が失われていくときには一定の順序があり、一般的に新しい出来事から先に忘れていき、古い出来事は後まで残ります。そのため、子どもの頃の思い出などは、いつまでも鮮明に覚えているものです。
精神的老化にともない、性格が変化することがあります。これにはいくつかのタイプがあります。
これらとは逆に、加齢とともに考え方や行動が自己中心的になったり、猜疑心(さいぎしん)が強くなったり、頑固になったりする傾向が見られることもあります。しかし、歳をとってからの人間関係は、ありのままの自分を受け入れてくれる人とのつながりが最も強くなるものです。無理に性格を変えてまで「いい人」になる必要はありません。
加齢にともない、誰でも経験するのが「もの忘れ」です。いわゆるもの忘れは、必ずしも認知症の前兆というわけではありません。「あれ、何だっけ」という単なる「ど忘れ」は、思い出すのに時間がかかっているだけですので心配いりません。そのときは思い出せなくても、別のときにきちんと思い出せる程度のもの忘れは、高齢者であれば誰でも経験することです。
しかし、毎日の生活の中で、ついさっき聞いたばかりのことを忘れ、家族に何度も同じ質問を繰り返したり、仕事、身辺の出来事、約束などを忘れる記憶障害は、生きていくための基本的な精神活動が損なわれることです。この段階になると、単なるど忘れではなく「認知症」の前兆ともなります。朝食に何を食べたかを忘れるのは問題ありませんが、食べたかどうか自体を忘れてしまったら深刻です。
脳は50歳を過ぎる頃から、その重量と大きさは減少していきます。これを脳の「萎縮」といい、老化の目安となります。脳の萎縮にともなって計算力、記憶力、推理力などが低下し、治療のために入院したり、生活環境の変化がきっかけになって、知的機能が著しく低下することがあります。
高齢者の中には、うつ状態で気分が深く沈み、不安感にさいなまれる人が少なくありません。このようなうつ状態の多くは、健康や経済面への不安、家庭内や社会における人間関係の疎遠、生活目標を失ったりすることによるものです。
退職によりこれまでの生活環境が大きく変化し、加えて配偶者や友人の死、容姿の衰えなどからくる喪失感などがその原因になります。高齢者の精神疾患の中で、うつ病はもっとも多くみられるものの一つで、脳卒中や糖尿病などの病気や、骨折などの怪我がきっかけとなって、うつ病になることもあります。
生活の中で「もういいや」となってしまうのが、精神の老化にとって一番いけないことです。そうならないためには、どんなときにでも常に「好奇心」を失わないことです。人間にとって好奇心くらい大切なものはありません。何も知りたくなくなったら、そのときはおしまいです。新聞を読むのがおっくうになったり、外界や新しいことへの関心が薄れてきたら注意信号です。
高齢になってから、現役時代の友人とお酒を飲み交わすのは楽しみの一つです。高齢者同士の集まりも大事ですが、「健康寿命」を若く保つためには、若い人々と話し合うことが効果的です。
歳をとると若いときに比べて雑多な知識や経験の蓄積があるため、どんな話でもそうそう驚くこともなくなります。そんなとき、若い人々との付き合いがあると、楽しく生きてきた昔の自分を思い出すことができます。ただし、リタイアしたら現役時代のように社会的地位や肩書きが通用すると思ったら大いなる錯覚です。身分をわきまえないでやたら出しゃばったり、上から目線の発言を繰り返すと二度と声がかかりません。
平均寿命は世界中で過去100年にわたり着実に延びてきました。しかし、科学的にヒトの寿命は120歳前後のようです。これまで人間の寿命に絶対的な限界があるのかどうかについては、多くの議論が交わされています。
これまでに記録が確認されている史上最高齢者(ジャンヌ・カルマンさん)は、1997年に122歳で死去しました。その後、119歳を超える人は報告されていません。しかし、110歳を超える人の数は世界中で増え続けています。
一部の研究者は、これが人間の寿命の自然な限界であると見ています。確かに昔に比べて清潔な水や生活水準の向上、現代医学の進歩などのおかげで平均寿命は上昇しています。しかし、こうした生活環境が向上してもそこには限界があり、最終的に肉体は消耗します。医学が進歩しても例外なく誰でもいつかは老化し、やがては死を迎えます。
まったく健康な人よりも、一つくらい軽い病気を持っている人のほうが健康に気を遣うので、「一病息災」と言われています。「息災」とは、仏の力で災害や病気などの災いを防ぐことを意味します。一つぐらい持病がある方のほうが健康に気を配り、かえって長生きすることを意味しています。
誰でも歳を重ねることにより老いと向き合うことになりますが、このときにより大きな問題を抱えるのは、病気をしたことのない「元気な高齢者」かもしれません。健康な人が「老いを受け入れる」ことは本人にとって言葉で言うほど簡単ではありません。しかし現実には、厚生労働省の資料によれば90歳まで生きた人の61%は認知症になっていますし、さらに95歳まで生きた場合は実に8割に達しています。元気な高齢者が初期の認知症にかかって、家族や医師にデイサービスに行くことを勧められた時に極度に嫌がるため、介護する家族にも負担がかかってしまうことが多いのが現実です。
高齢になると心は若くとも、本人が自覚しない間に身体は老化しています。それにより時には命に関わる出来事が発生します。下記の10項目は私の90年の人生経験に基づいたポイントです。
人は誰しも老いていきます。そしてその老い方は人それぞれです。後期高齢者が増加している今日、これから高齢者社会はどのように進展するか、今後の行く末を案じています。高齢者が社会から排除されることについては姨捨山(おばすてやま)を思い出します。これは深沢七郎の小説「楢山節考」やその後の映画化によって広く知られています。かつて食糧難解消の「口減らし」を目的に、働けなくなった老人を山に遺棄したという物語です。
経済学者の成田悠輔氏が2021年にネットの動画番組で少子高齢化問題を議論した際に、「高齢者は集団自決をしたほうがよい」と発言し物議を醸しています。生産性のない高齢者は早く世の中から消えた方が良いという経済学的立場からの発言かもしれません。しかし、みずから命を絶つことは、道徳的にも法律的にも許されることではありません。「集団自決」とは、第二次世界大戦で沖縄において戦争が激しくなった時に集団で防空壕に避難し、敵が上陸して襲撃される前に全員が爆薬で自決したという痛ましい出来事です。
日本は現在「超高齢社会」と呼ばれるほど、高齢者の人口が増加しています。その中にはいわゆる前期高齢者の65〜74歳の人々も含まれていますが、この年代は心身の健康が保たれており、現役で仕事に従事している人が多くいます。また、国の政策で70歳まで定年を延長することが会社や大学などで実施されています。したがって、従来の65歳以上を高齢者とすることには否定的な意見が強くなっており、今後は現在後期高齢者と定義されている75歳以上を新たな「高齢者」として定義することが提案されています。
日本の総人口は2010年に1億2800万人でピークを迎えましたが、その後は減り続け、2022年12月時点では1億2484万人まで減少しました。このまま長期的に人口減少を続けていけば、2029年には1億2000万人を下回り、2053年には9000万人に割り込むと予想されています。
謝辞: 今回のエッセイを完成させるにあたっては、朋友の赤川均様のご協力によるところが大きく、心から深謝致します。赤川氏はIBMにご勤務されていましたので、コンピューター関係に精通している技術者です。さらに、私が2012年以来毎月約200人の購読者に送っているブログ「メディカルトーク」の挿絵を担当して下さっています。私にとってはかけがえのない協力者です。
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