柴犬「パル」との14年間

息子が小学生の頃、自分が散歩させるから犬を飼いたいと言っていたある日、多摩センター にあるバルテノン多摩近くの信号待ちのとき、偶然、電柱に「子犬差し上げます」の張り紙を見つけ 電話番号を控えた。

八王子のケンネルを訪ねると柴犬を品評会に出せるよう飼育しており、よい子犬は6万円でお分けするが、 歯並びが悪く品評会には出せない生後6ケ月の雄の柴犬がおり、こちらは差し上げるとのこと。 当然後者にした。来る途中のコンビニで買ったお礼の石鹸セット入り(3000円)箱と引き換えにこの子犬は我が家の 一員になった。 帰りの車の床で、これから大きく変る運命を感じてじっと座っていた不安そうな犬の顔はいまでもはっきりと覚えてる。


家族の一員になったパル

名前はパルテノン多摩に因んで英語のpal(友人、仲間)とも引っ掛けて「パル」とした。品評会に出せる血統の母親から生まれ たので歯並び以外はよい柴犬と信じていた。たまに散歩の途中で「いい犬だね、型がいいよ」と見知らぬ人から声をかけられると いい気分だった。 犬がきて毎日の生活が一変した。毎日出かけるまえと帰宅してパルの様子をみにいった。家内はパルの食事 に気を使った。平日は息子が、休日は私がパルの散歩役だった。若い頃のパルは散歩にいくとグイグイ低い姿勢で 綱を引っ張るので、胸と足の筋肉が硬く盛り上がっていた。時には2時間以上の遠出もした。散歩の目的はマーキングだ。 オシッコをかけた後、後ろ足で地面を擦るように蹴る。毎日毎日散歩がしたくてたまらないパルが休日に私がいる のが分かって「クーン クーン」と散歩をねだった。 つい、朝夕以外にも散歩にいったが、ねだると散歩にいけると知るとまたねだる。生き物は難しいとつくづく思った。

散歩から

パルの好物は鳥の砂肝、鳥皮や牛スジも好物のようだが、脂質が多いので控えめにした。 年に何度かのシャンプーは、とても嫌がり、水をかけると激しく抵抗し時には飼い主を本気で噛んだ。 とくに梅雨明け間近の高温多湿のころは匂いがたまらない。なんとかなだめすかして、シャンプーした。 柴犬の習性として水が嫌いのようだ。柴犬の毛は防寒のため太くて長い毛の下に細い毛が密集しており、ここにダニとノミが よくつき手でとってやった。夏の暑さには弱く猛暑時期には庭に穴を掘り、体を冷やした。 おかげで大事に育てた芝生も台無しになった。

大嫌いなシャンプーの後はご褒美の散歩が待っている。

冬の寒さにはかなり強いようだが、さすがに大寒のころの夜間は玄関に古い衣類を敷いて寝かせた。 玄関ではストレスが溜まるらしく、オシッコ用に敷いた新聞紙を前足で細かくちぎった。 ガサガサとうるさいので叱るが益々ストレスがたまるらしく何度叱ってもやめなかった。 パルは番犬としては最高だった。見知らぬ人が家に近づくとあらん限りの声で威嚇した。 電気屋さんがエアコンを設置にきたとき噛み付き怪我をさせてしまった。家以外ではけっして人や他の犬にほえたり、 危害を加えることはなく、他の犬が吠ても全く無関心だった。

庭で鎖からときはなされて、再びつながれるのが嫌で逃げ回っている元気なパル

パルは2度脱走したことがあった。庭で鎖からはずし自由に走りまわさせていたが、眼を離したすきに、 門扉の下のわずかな隙間から自由を求めて、這い出してしまった。ガチャツと音がしたので追いかけたが、 すごいスピードで角を曲がって交通の頻繁な大通りを横断し、自動車の横を駅の方角に走り去っていった。 車に引かれはしないかと気が気ではなかったが、後は運を天にまかせるしかない。車で駅方向にさがしにいったが、 みあたらなかった。日が落ちても帰ってこなかった。不吉な想像もしたがなすすべがない。 夜9時を過ぎたころ、外でパルの泣き声が聴こえた。ハアハア息をはきながら自由を満喫し無事に帰ってきた。 そののちは脱走しないようとくに注意した。

暑い夏は日陰で一休み

パルが10歳を過ぎたある日、散歩中に肛門の下が腫れているのを見つけ、犬猫病院で診てもらったところヘルニアとの 診断で、膀胱がとび出ているため手術が必要とのことだった。検査などのため手術の2,3日前に入院した。 2日後に様子を見に行った。 顔をみたとたんオリのなかから出たくて床をガリガリ引っかいた。長居すると興奮させると思い部屋を出ようとすると置いていかれる とわかって激しく床を引っかいた。かわいそうだが仕方がない。手術後は傷口をなめないように、首に大きなプラスチック製の三角錐 のものをつけた。エリザベスカラーというらしい。退院してもしばらくはこれをつけた。手術後は順調に回復し抜糸後エリザベスカラー もとれた。また数年たち、再び膀胱がとび出してきたが、縫合する体内の膜がボロボロでこんどは手術はできなく、また膀胱に腫瘍があるとのことだった。 テレビによく出演するヒゲの獣医先生だった。 とび出した膀胱が尿道を圧迫し自分で排尿が出来なくなることがあった。膀胱に尿が溜まり肛門の下が野球ボールほどの 範囲でパンパンに腫れあがり夜中に苦しさのあまり数分おきに「ウー」とうめいた。それを聞くと心臓が締め付けられる 思いがした。かかりつけの病院は夜間診療はなく留守番電話になっていた。 可哀想なのと、近所迷惑になるので一緒に玄関で寝た。パルは苦しくて玄関の木部に噛み付いた。今でも5ミリほどの傷跡が多数残っている。 朝一番に病院につれていきカテーテルで排尿してもらった。まもなく、相模原市の夜間専門の犬猫病院の存在を知り、 夜間の緊急時はそこで処置してもらった。

パルが14歳(人間では70歳以上という)の春、その頃は散歩に行っても頭を下げよろよろと歩くようになっていた。

その前日の雨の夜、パルが犬小屋の周りを歩きまわっている様子なのでいってみた。尻尾を下にさげ、何かをうったえたげな 眼をしていた。どうも調子が悪いらしい。とりあえずそのまま寝た。よく朝パルがぐったりと犬小屋で臥せっていたので、家内に病院につれて いくよう頼み、会社に出かけ夜7時頃帰宅した。家内によるとたった今病院からパルの心臓が停止したとの連絡があったことを知った。 病院のベットで口から管を挿入されたパルの姿があった。まだかすかに体温が残っていた足には泥がこびりついていた。苦しくて雨の夜外を歩きまわったのだろう。パルとの14年間が駆け巡り、飼い主としてもっと何とかして上げればよかったとの思いがこみ上げて人前で泣いてしまった。こうしてパルは家族の一員から最初に去っていった。

外に出たくてたまらない犬を鎖で繋いでおくことはとても可哀そうで、出来ることならば、野山で放し飼いにして 自由に走らせて上げたい。それが出来ない現実があり、一方で、家族の一員としてお互いに愛情を交わし、ともに暮らすこと の喜びも知った。犬は人間を仲間と思っている。うれしいときはかならず尻尾を振る。昔は犬が好きではなかった私だったが、 パルと出会ってから大の犬好きになった。なぜ好きになったか考えてみるに、犬は人間が好きで、尻尾を振り前足で飛びはねる しぐさとなき声で全身で感情を表わす。自分を好きだと分かった相手は人間でも動物でも好きになれる。

路ですれ違った犬と視線があったとき、あなたが好きですよ、と思って見つめると、たいていどの犬も尻尾で応えてくれる。 犬好きは犬が一番よく分かっている。