中国


天安門


中国に出張する機会があった。だいぶ前に、NHKで放送された石坂浩二ナレーションの「シルク・ロード」や「三国誌」などの歴史小説などに魅せられ、いつかは訪ねたいと思っていた。日本文化のルーツであり、自分の名前さえも中国の文字である。
7月末のとても暑い日、北京市街と北京空港の間にある麗都という場所のホテルについた。 ホテルの名前は「北京麗都假日飯店」英訳すると Holiday Inn LIDO である。広大なホテルの敷地に宿泊棟のほか ビジネス棟があり、この中に海外の会社のオフィスがある。スポーツジム、プールから、レストランも中華料理店のほか ドイツ、イタリア、インドネシアなどの料理店があり、デリカテッセン、ドラッグストア、ポストオフィスやスーパーまである。 ホテルの前の通りの反対側には中国料理店やみやげ店などが軒を連ねている。
ホテルのスタッフで私より身長のある真紅の制服を着た若い美人の女性がホテル内のことについて説明してくれた。 容姿もさることながら内面の賢さも多分かなりのエリート女性たちである。



北京の外へ最初に出たのは煙台(えんたい)であった。初めて聞いた都市の名前であったが、山東半島の先端に位置し 黄海をはさんで朝鮮半島と対峙する。当時の人口は500万人ときいた。ワインが名産という。 仕事が終わった最後の日、レストランで接待してくれた。中国では「乾杯」は注がれた酒を飲み干さなければ失礼になるらしい。 ワインを注ぎにきてグラスを飲み干し私も飲み干すのをまっている、下戸の私に代わって同行した若い中国人社員 が替わりに次々と飲み干し、そのうちバタッとテープルに倒れ、吐いてそのまま意識不明になった。 私も危険を感じて廊下で外を見ていた。トイレに入ると大も小も仕切りが全くない。いろいろとおどろかされたが、 大変気を使っていただいた。


煙台のホテルの前からの眺め。

故宮

待ちに待った最初の休日は「故宮」へ出かけた。ホテルの無料シャトルバスが北京飯店や故宮近くまで運行して いた。ビルの角を曲がり目の前に「天安門」が見えてきた。世界的に知られた門である。 1417年に明代の永楽帝の時代に宮殿の南門(承天門)として築かれた城門。最近では1989年に民主化を求めた 学生たちを軍が武力排除した天安門事件があった。 門をくぐるとここから「故宮」の入り口まで続いており大勢の観光客が列をなしていた。外国人料金を支払い中に入る。 ものすごいスケールである。紫禁城(しきんじょう)とも呼ばれ、清王朝の宮殿でつい数十年まえLast Emperorがここに 住んでいた。もともとは元王朝が作ったものという。北京を開いたのは元王朝であり当時は大都と呼ばれマルコポールも 訪れた、ことはなにかで読んだ。故宮へはその後3度行った。


中国人の若いカップルに頼んで撮ってもらった。
北海公園内にある宮廷料理の名門「(イ+方)善飯荘」で宮廷料理なるものを食べた。
万里の長城

ホテルで観光バスツアーを申し込んだ。コースは八達嶺の万里の長城、明の十三稜、 七宝焼き工場見学。当時はまだ八達嶺までの高速道路は完成してなく、工事中の道路脇を通っていった。 はるか遠くの山の頂上まで延々と続く長城の実物をみるとあらためて古代の皇帝の意思に触れたような気がした。 万里の長城の石段は一段の高さが50センチ以上は軽くある。勾配がきつくすぐ足にきた。とくに下りが大変。 最期には膝がいうことをきかず、数歩あるいてはぺたっと前に転んでしまう。昔の兵士はこの階段を走ったのだろうと思った。

大連のお客様が最終日に接待してくれた。中国人社員の仲介で、1週間ともに仕事をした主任の王さんも囲碁が好きなこと がわかり筆談での会話。王さんが「武宮宇宙流」と書いた。こっちも「馬」(馬暁春)や「耳」(聶衛平(じょう えいへい))と書いた。 彼は最後に握手をしながら英語で「World war 2 aside, we are friend」といってくれた。当時は橋本首相の「靖国参拝問題」で 日中関係が良くなくテレビで日本軍の画面がよく放送されていた。



展望台からの眺めは飛行機の中かと思わせる。足がすくむ。

北京から上海に飛んだ。さすがに中国随一の経済都市である。空港やホテルの規模や働いている 人から受ける印象が一味違う。広い道路がよく整備されていて都市全体が発展していると感じた。 レストランの料理も大変おいしい。
よくテレビなどでみるタワーに行った。
東方明珠電視塔(とうほうめいじゅ-でんしとう)は中華人民共和国上海市浦東新区陸家嘴金融貿易区に 位置するテレビ塔。高さ467.9mで、アジア第1位。上海テレビ塔、オリエンタルパールタワーとも呼ばれる。 展望台は3つ、350m、263m、90mの高さのところにある。1990年着工、1994年11月完成。総建設費8.3億元。

上海の夜景は大変に美しい。夜景のみえるレストランで上海蟹を食した。 値段の割りにはいまいちであった。和平飯店でジャズ演奏を聞いた。西洋人が4,5歳くらいの中国人の女の子と 踊っていた。ここは本当に中国かと思った。

次の夜は上海雑技団を見に行った。以前にテレビで上海雑技団の団員 の生活をみたことがあった。子供の頃から全寮制で選ばれた子供たちが厳しい修業をする。中国の雑技団のなりた ちは貧農の人々が生きていくために芸をしてみせたことだった。生きるためには何でもする中国人のしたたかさを 感じた。いまでは世界的に高い評価を受け成功している。見事なサーカスであった。体操競技でも日本はかなわない 訳だと思いながら見た。


寒山寺

上海での休日にタクシーを借り切り蘇州まで観光旅行をした。蘇州での信号機は変わるまでの秒数が表示される。便利である。

寒山寺は、上海を舞台にした長谷川一夫主演の東宝映画「支那の夜(しなのよる)1940年」の主題歌に出てくる。
「蘇州夜曲」李 香蘭(山口淑子) <-YouTube
作詞 : 西條八十 作曲・編曲 : 服部良一
「君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 恋の歌 水の蘇州の
花散る春を 惜しむか柳が すすり泣く
髪に飾ろか 口づけしよか 君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺

広州の街の様子

北京から深センへは飛行機、深センでの仕事が終わってから広州へ中国人の社員とともに電車でいった。 広州のレストランでは蛇と蛙を食べた。蛇は油気の少ない魚のような食感、蛙は鳥肉と同じ味であった。

深セン空港での出来事であるが、中国人が頼んでいてくれたはずの迎えのハイヤーが見当たらない。 ウロウロしていたら女性が近づいてきて、1枚しかない英語名で書かれたホテル名の紙をみせたらぱっと取り上げてこのホテルは知っているので乗せていくという。スタスタ歩くので仕方なく付いていった。駐車場には旦那らしいのがいて、タクシーだという。多分日本でいう白タクなのだろう。 市街までいくと、ホテルの場所がわからないらしい。あちこちできいたが、最期にどうみてもホテルとは思えない建物を指してあれだという。こっちもいずれにしても遠くは無いはずで、どうせ解らない車にいつまでも乗っていてもしかたがないと思い代金を支払いおりた。案の定ホテルではなく銀行であった。行員にタクシー運転手にきいてもらったら、わかるというので乗った。まったく別のホテルに連れていかれた。さすがにホテル関係者は目的のホテルを知っていたのでタクシーでようやく到着できた。チェックインして部屋に入るなり電話が鳴り空港に迎えにいったハイヤーの運転手が料金を支払ってほしい、という。 乗ってもいないのに支払えないといって断った。
なんとも疲れた一日だった。
教訓その一、飛行場でホテル名の書いてある紙は決して渡さないこと、または別の紙に控えておくこと。
教訓その二、タクシー運転手は客がほしいので知らなくても解ったといって乗せる。これはうそをつかれたらどうしようも ないが、ホテルや空港の正規の場所から乗り込むと比較的安全。
教訓その三、中国のホテルは英語名と漢字名の両方を持っており、地元の人は英語名では解らない。 たとえば 「東方之珠大酒店」と「Oriental Pearl Hotel」のように。

当時の中国では高速道路、空港、高層ビルといたるところで工事が進められており、発展過程であった。 中国人の若い社員と数カ月間をともにしてみて思ったことは、彼らは頭もよく、仕事への熱意が非常に強い。 彼らはいま努力すればより豊かな未来が開けることを良く知っており、貪欲な向上心を見せる。 昔の社会主義で育った世代とは考え方が大きく違う。新しい考え方をもった若い世代が多くの経験を 積み中国社会のリーダーになったとき、日本は多方面で追いつかれ、追い越されると思った。




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