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鎌鼬美術館設立記念「KAMAITACHIとTASHIRO展」

2016/06/01

慶応大学アート・センター資料

慶応大学アート・センター資料

「鎌鼬」のパネル(アート・スペース入り口)

日本写真史に残る傑作とされる写真集「鎌鼬」(1969年現代思潮社)は、米沢生まれの写真家細江英公(ほそええいこう)が1965年、土方巽を被写体として、東京巣鴨、目黒と土方の父の故郷秋田県羽後町上郡に近い田代で撮られた。

土方巽没後30年の今年、羽後町では「鎌鼬美術館」が設立される。これにちなんで、2016年6月1日から7月15日(土・日・祝閉館)まで、東京都港区三田の慶応大学アート・スペースで、「KAMAITACHIとTASHIRO展」が開催されている。

6月1日三田の慶応大学正門前にある慶応大学アート・センターを訪問した。

桜庭文男氏の写真、秋田朝日放送の藤原峰氏がドローンなどで作成した田代の風景映像、写真集「鎌鼬」などを見たあと、2階で慶応大学アート・センターの森下先生と今年の東京秋工会総会での講演について相談した。 昨年の総会では、土方巽についての講演を急遽追加したため時間が取れなかったので、今年は時間をとり舞踏ダンサーの演技も予定している。

茅葺き民家の写真について(桜庭文男)

18時半から慶応大学構内の教室で開催された「稲架(はさ)のある里」と題されたシンポジュームに参加した。

写真集「鎌鼬」には土方が稲架の上で遠くを見つめているものや、稲架の傍で土方を笑顔で囲んでいる村人の写真がある。稲架を使って刈った稲束を干す農家は少なくなったが、自然の日光で干した稲は保存もよく、脱穀した藁を「羽後牛」というこの地域のブランド牛は好んで食べる。牛の排泄物は肥料として土壌に帰り再び植物を育てる。これを「循環農業」と呼ぶ。

ゲストスピーカーとして秋田から、桜庭文男(写真)、藤原峰(映像)、本間恵介(茅葺き職人)が参加した。

桜庭文男氏は、昭和41年秋田工業高校電気科卒、東京総合写真専門学校を卒業、現在秋田市川尻で写真館を営んでいる。主な写真集として「ザ・五能線」(星雲社 1994年)、「茅の家 雪国の古民家」(丸善 2008年)など出版している。

ライフワークとして茅葺き民家の撮影を30年以上続けており、羽後町には茅葺き民家が40棟以上残っていて大部分が田代とその周辺に点在しているという。茅葺き民家を宿にしたいと相談されたことから、羽後町田代に通うことになり、「鎌鼬美術館」に関わったとのこと。

「薔薇刑」の一場面。体を屈して被写体となる土方巽。撮影:細江英公

この日展示スペースで配布された小冊子に書かれていた森下先生の文によると、細江秀公は1959年舞踏の最初の作品と言われる「禁色」を初めて見て狂気し、以来、終生、土方との交友が始まった。また「禁色」の初演を見た作家の三島由紀夫が「広い東京にこれ以上面白い舞台芸術はない」と絶賛した。

その後、南欧風に設計された三島の自宅や、土方の稽古場であるアスベスト館などで土方も三島とともに被写体となり、細江英公撮影による三島由紀夫の裸体写真集「薔薇刑」が誕生した。

1963年の「薔薇刑」の出版から2年を経て、細江は「鎌鼬」の撮影に取り組むことになる。

ロンドンにある国立近代美術館「テート・モダン」で開催されている「カメラにむけたパフォーマンス」展に「鎌鼬」の写真が展示されている。
(TATE MODERN EXHIBITION "PERFORMING FOR THE CAMERA" UNTIL 12 JUNE 2016)

*** 英語の説明文をGoogleで自動翻訳してみました。***
 細江英公は、日本の写真家の偉大な世代の最後の生き残りメンバーであり、 「先生」や「マスター」として、でも彼の仲間によって、記載されています。彼の作品は今古典と正式に美しく見えますが、細江は、1960年代の前衛の最もカラフルな文字と協力し、彼の若さで画期的なアーティストでした。彼は、政府だけでなく、より多くの従来の俳優やダンサーを打倒するために失敗した後、儀式自殺したことで、日本の有名な作家(とボディービルダー)三島由紀夫、と働きました。彼の最も有名な作品は、日本舞踊の動き、舞踏を設立ダンサー、振付師土方巽、で作られました。豪華な写真集として出版され、鎌鼬は、日本では、田舎に長い草の中を歩くときに足を切断すると信じていたずらの精神を指します。

羽後町に設立される「鎌鼬美術館」は、明治15年に建てられた田代の大地主の邸宅だった旧長谷山邸の内蔵(母屋の中にある土蔵)を予定している。

旧長谷山邸

高校の同級生桜庭氏と50年ぶりに会った。この日じっくりと桜庭さんの写真と、説明に接して、自分の育った子供の頃の秋田県大仙市の風景と、当時の人たちとの関わりに郷愁を感じた。

正直なところいまだに、舞踏の意味がよく解っていないが、舞踏の世界のみならず写真でも土方巽という舞踏家について知れば知るほど、多くの人に影響を与えた、と感じた。

高校の同級生桜庭氏(右)と50年ぶりに会った。



秋田県出身者として、羽後町については西馬音内盆踊りしか知識がなかったので、Googleなどで 田代について調べてみた。
 人口632人、男298人、女334人、世帯数201(平成22年国勢調査)

羽後町田代郵便局が目印

羽後町役場方面(写真右)から田代(左)へは、県道275号線七曲峠経由

県道275号線

田代郵便局裏手が旧長谷山邸

275号線をはさんで左 旧長谷山邸、右 かやぶき山荘 格山


羽後町田代ふるさとだより(羽後町サイト)
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