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角館武家屋敷

2016/07/01

秋田で同級会があり前日秋田に向かう途中、角館で途中下車し、武家屋敷を訪ねた。

角館の武家屋敷といえば、春の枝垂桜と秋の紅葉の武家屋敷通りの写真をよく見るが、初夏の緑に沈んだ静かな景色もよいかなと思った。

13時過ぎ新幹線が角館駅に着いたので、予め16時20分発秋田までの新幹線こまちの指定席券を購入、駅前の観光案内所で武家屋敷までの道順を聞き、1キロほど歩いた。郵便局の前を右折すると武家屋敷通りが見えてきた。

樹齢300年という古木が空高くそびえ立つ深緑に囲まれた黒板塀の通りは静かで観光客もまばら。永い時を経てきた江戸時代の屋敷に入り、古い武具や調度品を見て、使った人々を偲ぶ。


-ウイキペデイア情報-
 角館町の城下町形成は、1590年(天正16年)に戸沢氏が角館城を築城して城主になったことに始まる。その後、戸沢氏に代わって秋田藩主佐竹義宣の実弟である芦名義勝が統治したが、河川の氾濫など地の不利から1620年(元和6年)に古城山の南側に新しい城下町を形成するになった。1656年(明暦2年)に芦名氏断絶後、佐竹氏一族の佐竹義隣が支配し、廃藩されるまで以後200年間一族が統治した。武家屋敷通りに見られる有名な枝垂桜は、佐竹義隣が生家の京都から持ち込んだものといわれ、1974年(昭和49年)に国の天然記念物の指定を受けている。城下町は南北に細長い街であり、北側に城を構えて武家屋敷である内町があり、時代の変遷に影響されることなく、当時の町並みが残されている。

角館駅舎

武家屋敷風の銀行

江戸情緒を感じさせる時計台

武家屋敷通り

江戸時代の中級武士の家屋

樹齢300年のカシワ


青柳家

青柳家では入場料500円を支払った。なによりうれしかったのはフラッシュを使わなければ写真撮影自由という。

3,000坪の敷地に見事に配置された庭も素晴らしいが、展示物の量質ともに立派な歴史博物館である。

青柳家はもともと芦名氏譜代の侍であったが、断絶後、佐竹北家の組下となった家柄。代々の役職は納戸役を多く勤め、実禄は104石と高い格式を誇っていた。納戸役とは金銀・衣服・調度の類を管理する役。

道路に面して黒塗りの簓子(ささらこ)塀があり、八双金具のついた薬医門の矢板には、万延元年(1860)大工棟梁柴田岩太郎の銘が記されている。

青柳家

井戸

青柳家と姻戚関係にある小田野直武の蘭画。小田直武は平賀源内に師事し、秋田蘭画を確立。「解体新書」の挿絵を描いた。

解体新書の挿絵

石像の後方、小田直武の生涯を平賀源内との関わりなど挿絵付きで細かに述べられている。

「ハイカラ館」2階

「ハイカラ館」2階には、ステンドグラスやオルゴール、レコードなどのアンテークコレクションが展示されている。

「ハイカラ館」1階の喫茶室でコーヒータイム

「唐箕(とうみ)」穀物ともみ殻を分離する。子供のころ農家にあった。

押絵

長持ち

幕末の武士の写真など展示


石黒家

青柳家から隣の石黒家へ。石黒家は佐竹北家の用人を務めた家柄。現存する角館の武家屋敷の中で格式が一番高い家柄の屋敷。現在も子孫がガイドを務めている。欄間の亀の透かし彫りが有名。

一番奥が樹齢300年のモミの木

懐かしい箱橇があった

蔵の入口の模様。中央が石黒家家紋

子供のころ使った

手前は「飯詰(いずみ)。お櫃のご飯を保温するもの。記憶では「えづめ」といった。

樹齢300年のモミの木を屋敷の外から

角館には「新潮社記念文学館」がある。当館は、新潮社を創設した角館町出身の佐藤義亮(さとうぎりょう1878~1951)の顕彰を目的に設けられ平成12年4月にオープンした。内部には入らなかった。

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