小田急線鶴川駅前北口付近の町名は町田市能ヶ谷町である。
鶴川駅から徒歩5分の能ヶ谷町にある「香山園(かごやまえん)庭園&美術館」が2015年3月29日をもって閉園するとのこと。日本庭園が素晴らしくNHK大河ドラマなどのロケが行われた。白洲次郎の武相荘とも徒歩5分ほどと大変近い。
鶴川に住んでこの4月で31年になるが香山園は訪れたことがなかった。特に春のつつじと秋の紅葉時期が見ごろと聞きいつでも行けると思いつつ時間が過ぎてしまった。閉館と聞いて最終日3月29日に急きょ訪問した。最終日ということで午前10時前から10数人が開館を待っていた。
鶴川駅周辺では神倉家所有の土地が多いらしく、ビルや駐車場などに名前がよく出てくる。
香山の読み方を「かごやま」というのは神倉龍蔵宗家が従った天照大神の曾孫「天香山命(あまのかごやまのみこと・別名高倉下(たかくらじ))」に由来する。
受付で頂いた資料によると、
顕祖加牟羅(かむら)天竺から唐、韓国辰へ。具世経の時代に日本に渡り、筑紫より高倉下に随従し丹後国を経て熊野に至り、紀州田辺、南部、紀ノ川河口の直川(のうが)郷に居を定めた。
さらに宗家は吉野から奥州平泉、羽黒山などを経て、羽黒村に居を定めた。(越後国蒲原郡=現在の新潟県胎内市羽黒と思われる)
神蔵宗家第24代甚左衛門盛清は、越後の上杉の家臣三戸駿河守義宣との合戦に敗れ奥州に落ちた。その後武蔵国都築郡幡屋郷元木に来着し柵(城)を造営し小田原北条氏綱へ加勢を乞い、扇ヶ谷上杉と合戦、勝利を得て北条氏の客人領主として幡屋郷を割り安堵される。
北条氏綱没後に隠居地として天文13年(1544年)居を構え直ヶ屋としたのが現在の町名能ヶ谷の由来
とあり、町田市鶴川地区の歴史にも触れられた。
江戸時代は名主を務めた名家らしく屏風や日本人形など数々の貴重な収蔵品が陳列されていた。閉館後、建物と土地は町田市が管理すると漏れ聞いた。
日本庭園はよく手入れされており、これから木々の新緑が期待されるところ。町田市の管理になると聞いたので今後を期待したい。
内部は撮影禁止なので印象に残ったものの絵葉書を購入した。
古代熊野之豪族 神ノ倉龍蔵之碑
大笠館瑞香殿・明治39年の建立。瑞香はジンチョウゲの漢名
「池泉回遊式の日本庭園」の作庭は元禄時代にさかのぼる
日本庭園(春・絵葉書)
日本庭園(秋・絵葉書)
「八幡太郎出陣図」(桃山時代・玄関衝立絵・絵葉書)
「御所人形太鼓打」(江戸時代・絵葉書)
「萬暦五彩合子」(中国明時代)皇帝のみが象徴として用いることができる五爪の竜の紋様・(絵葉書)