「人間の土地へ」小松由佳

「人間の土地へ」小松由佳

2020/12/10

小松由佳さんに初めて会ったのは2015年7月11日に原宿の水交会館で開催された第4回 「秋田ふるさと応援団 スポーツ・文化秋田応援チャリティの集い」で講演して頂いた時だった。

小松さんは、1982年秋田県生まれ、秋田北高卒、東海大学山岳部で本格的な登山を始め、2006年日本人女性初のK2(8611m)に登頂。2006年植村直己冒険賞、2007年秋田県民栄誉賞受賞。

秋田北高は私の卒業した高校とは近く昔は女子校であった。

講演は「ヒマラヤから砂漠へ - 山と人に生かされて - 」との題目で、登山チームの様子から、8,611メートルから生還した経験と、その後はフォトグラファーとして東西アジア、東北の農村、瀬戸内海の島の暮らしの他、近年はシリア難民の支援活動をしていることを、スライドを使い明快に語った。

参加者には大変好評で「これまでの講演で最も感動した」との声。

これが縁でSNSで友達となった。2016年ドキュメント「オリーブの丘へ続くシリアの小道で」が河出書房新社から出版された。

フォトグラファーとしてふるさとを失ったシリア難民をとらえたドキュメント。写真のシリアの人たちの多くは笑顔を見せているが、戦火を逃れ厳しい生活を強いられている様子が伝わった。

小松さんは、登山のあとシリアで知り合ったシリア人男性と結婚し、男の子を生み家族は東京に住んでいる。

2018年6月、トルコに難民として住んでいた夫の父の健康状態が良くないため出来るだけ早く会いたいと思い、妊娠7カ月の体で2歳の息子を連れてトルコに飛んだ。シリア難民である夫はトルコに入国できないという。K2登山で死の淵に立った強い女性である。

日本人女性として初めてK2登頂に成功した著者と、ラクダと共に生きるシリアの青年。砂漠で出会った二人を待ち受けていたのは、「今世紀最悪の人道危機」、シリア内戦だった。徴兵された青年は、同胞に銃は向けられない、と政府軍を脱走する。辿り着いた難民キャンプは安全だったが、生きる意味を見い出せず、戦火のシリアに舞い戻る。人間は何を求めて生きるのか? シリア内戦を内側から見たノンフィクション。(集英社インターナショナル)

2020年9月、小松さんから「人間の土地へ」と題した本を出版するとのメッセージがあった。それまでの彼女の活動はSNS経由でよく知らされていたので、この本のタイトルの意味は直観的に分かった。

平成29年度の「第15回開高健ノンフィクション賞」において、最終候補作品に選出されておりその後加筆し、さらに内容を深めた。とのこと。

そして9月25日発売日にヨドバシ.comで先行予約していた本が届いた。

このタイトルはどこかで聞き覚えがあったような気がしたが、巻頭にサン=テグジュペリ 「人間の土地」(堀口大学 翻 新潮文庫)から引用した未知に挑戦する考え方の一節があった。

人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。
だが未知も、それに向かって挑みかかる者にとってはすでに未知ではない、
ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと。
サン=デグジュペリ「人間の土地」(堀口大学 訳 新潮文庫)

冒頭には、2006年8月1日に日本人女性として初登頂した世界第2位の高峰K2(標高8611m)の写真、8月4日深夜ベースキャンプに帰還した時の顔が日焼けで黒ずんだ写真、2009年シリアで後に夫となる一家との交流、シリア、ヨルダン、トルコでの難民などの写真、そして2017年春八王子の満開の桜並木を夫に肩車された息子の幸せそうな写真が載っている。

K2登頂から一年後パキスタン高山への挑戦が果たせなかった。ポーターとの交流で次第に人の営みに視点が移ったことに気が付きユーラシア大陸を西に旅することになって、シリア中央部のパルミラという街で後に夫となるシリア人とその一家に出会った。

この後、シリアの内戦、実際に家族の一員となった一家を通してシリア難民の実情とシリア人家族同士の強い絆を述べている。

将来二人の息子に父と母がどのようにして出会いどのような道のりを経て子供たちは生まれたのか、この本を残したいという。

2020年12月6日(日)夜10時からのフジテレビ「Mr.サンデー」にゲスト出演した。幾分緊張したようだが、しっかりとしたコメントをしていた。事前の予定ではシリアでのコロナ禍での医療体制について話す予定だったがこの日は、はやぶさ帰還、コロナ禍の看護師不足問題などのトピックのため時間の関係でカットされたらしい。

小松さんの活動をSNSなどで知り、それまでは遠い国の出来事だった難民問題が他人事ではないと思うようになった。

サン・テグジュペリの「人間の土地」に次の一節がある。
 人間であるということは 自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して 忸怩たることだ。「人間の土地」 サン・テグジュペリ(堀口大学訳)
 作者からの問いかけのように思う。

明治初期から太平洋戦争の終結まで、ハワイや南米などに多くの移民を送り出した日本は、少子高齢化が進み今度は否応なしに移民を受け入れる側として向かい合わなくてはならない。

ヨーロッパ社会での移民・難民問題、多様な人種を受け入れてきたアメリカでは社会の分断が大きな問題となっている。

2020年1月1日現在、日本の外国人人口は287万人で総人口の2.3パーセントという。ふるさと秋田県の人口95万人の約3倍より多い。すでに外国人なしでは成り立たない社会になっているのではないか。

人はそれぞれ生まれ育った国や民族固有の宗教、文化がありその価値観の違いをも受け入れなくてはならない。生まれ育った祖国も、移り住んだ土地と日々の営みもまた「人間の土地」である。

登山家、フォトグラファー、そしてノンフィクション作家の広い視野を持った女性としての活躍を期待したい。

追記

2021年5月この本が第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した。

・参考):
  山本美香記念国際ジャーナリスト賞 : 2012年8月20日、中東シリアのアレッポにて取材中、銃弾に斃れた山本美香(享年45)のジャーナリスト精神を引き継ぎ、果敢かつ誠実な国際報道につとめた個人に対して贈ろうとするもの。

 笠井千晶 選考委員選評 :
小松由佳さんの「人間の土地へ」を拝読し、人の営みへの寄り添いと限りない共感が、小松さんの揺るぎないモチベーションになっていると感じた。登山家として自身が命の危機に瀕した体験から、「人間がただ淡々と」そこに生きている姿こそが尊いと気付き、その想いが、やがてジャーナリストの仕事として昇華されていく。
 数年越しでシリアの人々に受け入れられ、彼らの飾らない素顔や本音を伝えてくれた。専門家の解説ではなく、顔の見える人々の姿から、複雑なシリアという国の実像を鮮やかに描きだしていることに驚いた。内戦が起こり、豊かな風土に恵まれた日常が崩壊していく様子が、一人の目線から、現在進行形で伝えられる。その眼差しと行動力は、本賞にふさわしいと思った。


小松由佳 photographer オフィシャルウェブサイト