今年5月、秋田在住の中学校同級生から7月2日に、秋田で古希を祝う同級会を開くとのハガキが送られてきた。
秋田在住の同級生が数年ごとに同級会を開催しているが、遠距離であることと他の予定のためしばらく参加できなかったが、今回は数え年で節目の齢でもあり参加することにした。
前回参加したのは還暦の10年前。この時幹事を務め、子供のころ実際に竹馬の技を競った、竹馬の友加藤弥君は数年後に亡くなった。
7月1日、秋田市の老人ホームにいる92歳の母にも会おうと、前日に秋田に向かった。今回は時間的に余裕があったので、途中角館の武家屋敷を訪ねた。
7月2日、母のいる老人ホームを訪ねた後、同級会会場に向かった。老人ホームから徒歩5分の距離にある「天然温泉ホテルこまち」は、以前は劇場だったが、10年ほど前にボーリングで温泉を掘り当てた都市型の温泉施設。中に入ったのは初めて。大変広く宿泊施設も整っている。
戦後のベビーブーム昭和22年から23年生まれの団塊の世代とも呼ばれた我々の世代の多くは、親の世代が厳しい戦争を体験した後の大変貧しい子供時代を過ごした。
私の故郷は秋田市から40キロほど南の、雄物川の支流淀川に沿った農業主体の山村で、子供の頃、学校と放課後も日が暮れるまで共に過ごした幼馴染は、自分の親兄弟には話せないことでもお互い同士は知っていることもある。
中学校を卒業したのが昭和38年(1963年)53年前のこと。当時農家の2,3男の多くは「金の卵」といわれ、集団就職列車で東京・大阪地域へと就職した。受け入れる企業でも、同郷の先輩が後輩の面倒をみた。
中学卒で踏ん張って新しい土地に根を降ろしたものや、再び故郷に戻ったものも少なくない。
地本の農業高校へ進学し卒業後、親の後を継いで地域を支えてきたものもまた多い。
我々の中学校の同学年は2クラス105人であったが、今回参加者32人のうち秋田県外から8名。15人が亡くなっている。
午後4時から、宴会場の送迎バスで近くの神社へ行って古希のお祓いをしてもらった。神主のいわく「生まれた年に戻る還暦から10年経た古希は思春期に当たる」。
宿泊したものが18名おり、昔の思い出を語り、卒業後の長い人生のことから、家族のこと、現在の生活の様子など2次会も含めて夜半まで語り合った。次回の同級会の相談となり、区切りとしては7年後の「喜寿」になるが、長すぎてどれだけ参加できるかわからないということで、2年後の開催予定となった。
古希(こき。原文の表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では古「希」と書くことが多い)とは、70歳のこと。
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(≒満60歳)であるが、古希は数えの70歳(≒満69歳)のこと。古希は長寿の祝いとされている。お祝いの色は、喜寿祝いと同じく、紫色。
長寿の祝いには、他に、還暦(かんれき)、喜寿(きじゅ)、盤寿(ばんじゅ)、傘寿(さんじゅ)、米寿(べいじゅ)、卆寿(そつじゅ)、白寿(はくじゅ)、百寿(ひゃくじゅ)などがある。(wiki)
開催年月日 | 開催場所 | 参加人数 | コメント(*参加) |
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昭和54年1月3日 | 協和町・たばた | 45 | *33歳厄払い・菅原三郎先生出席 |
昭和54年10月28日 | 強首ヘルスセンター | 24 | 県内在住者のみ |
昭和63年1月3日 | 秋田ターミナルホテル | 41 | 42歳厄払い・柳田秀雄先生出席 |
平成元年11月23日 | 協和町・栄太郎 | 12 | (町内在住者のみ) |
平成7年8月15日 | 協和町・唐松温泉 | 18 | (県内在住者のみ) |
平成10年1月2日~3日 | 秋田温泉・さとみ | 38 | 50歳の祝い |
平成14年8月14日 | ホテルメトロポリタン秋田 | 21 | |
平成19年6月9日~10日 | 秋田温泉・さとみ | 58 | *還暦祝い・林 洋一先生出席 |
平成22年6月12日~13日 | 川辺プラザクリプトン | 19 | |
平成24年9月1日~2日 | 秋田温泉・さとみ | 21 | 卒業50年を祝う会 |
平成28年7月2日~3日 | 天然温泉ホテルこまち | 32 | *古希を祝う会 |
神社でお祓いの後の記念写真
宴会会場
宴会で乱れる前に会場で記念写真
秋田で準備してくれた幹事代表森川君のあいさつ。冠婚葬祭関連の仕事経験があり、立派な挨拶であったが、チョット長かった。
乾杯
女性幹事の日本舞踊
最後は「高校三年生」の替え歌「♬中学三年生」
淀川小学校1年
淀川小学校6年松島修学旅行
淀川中学校1年A組
淀川中学校2年B組