
母校の秋田工業高校が今年創立120周年を迎えた。明治37年(1904年)に創立され、1964年私が高校2年の時に創立60周年の記念式典が秋田県民会館で行われた。それからさらに60年が過ぎた。
私が同窓会の役員をしている東京秋工会(秋田工業高校同窓会東京支部)の会長・会員など21名が母校の創立120周年記念式典出席のため秋田へ向かった。私も出席を考えたが高校時代はすでにはるか遠い時のかなたに霞みわざわざ秋田まで行く意味を考えて参加を見合わせた。
東京秋工会の会長からあげまき会東京支部総会が、母校の創立120周年記念式典の翌日開催されるため会長代理で参加の打診があり承諾した。秋田市内の高校同窓会東京支部の役員がお互いに総会に招待しあっている。
あげまき会は秋田県立秋田北高等学校同窓会の名称。秋田北高校は私の母校とは秋田市内を流れる旭川を挟んだ川向うの女子高校(当時)で明治34年の創立、2008年4月から男女共学になった。

同窓会の名称は、大正11年に校章「あげまき」から命名したもので、「あげまき」とは大切なものの装飾に用いられる紐の結び方の一つで、人々の堅固なつながりや、心と心の強い結びつきを意味します。 校歌にも「解けぬが如く」「交じらひ堅く結ばれし」などと歌われています。(あげまき会東京支部サイトより)
2024年あげまき会東京支部総会は10月12日(土)会員37名、招待者7名の総勢44名の参加で開催された。支部長の藤原さんは秋田ふるさと応援団で同じ理事を務めている。
会場のアルカディア市ヶ谷は、私が月に一度は参加している囲碁部の月例会会場の日本棋院とはほんの数十メートルしか離れていない。
私が役員をしている東京秋工会の総会出席者が極端に年代構成が偏っているので他校の参加者がいつも気になる。
出席者名簿から、卒業年代別に分けてみると昭和30年代、昭和40年代が最も多いが、平成の卒業生も3人参加している。
| 卒年代 | 参加人数 |
|---|
| 昭和20年代 | 3 |
| 昭和30年代 | 13 |
| 昭和40年代 | 11 |
| 昭和50年代 | 5 |
| 昭和60年代 | 2 |
| 平成年代 | 3 |
講演はなく、あげまき会本部の会長と校長がそれぞれ同窓会と高校の現状を説明した。続いて前年度の会計報告などがあった。喜寿のお祝いで2名が登壇し支部長から花束が手渡された。
校長先生の資料によると、卒業生数:36,106名、生徒数:672名(男175名、女497名)、教職員数:67名
令和6年3月卒業生の進路先比率では、国公立大学50%、私立大学32%、専門学校8%、就職4%、その他7%となっている。地元の秋田大学には42名が進学している。
運営報告書によると年初会員505名、新会員8名、令和5年度収支決算では、会費納入者は会員164名(会費2,000円)、他に高齢会員などからの寄付金が比較的多いようだ。
小林陽一Trioのジャズを聴きながらランチボックスでの食事・歓談。来賓が順番にスピーチを頼まれ、私も高校時代の汽車通学の思い出や、あげまき会東京支部のホームページづくりを手伝ったことなど話した。
「青い山脈」と「今日の日はさようなら」を合唱し閉会となった。ちなみに「今日の日はさようなら」のCDは支部長からの依頼で私が作成したもの。
女子高(昔)の同窓会に参加したのは初めてで、(ほとんど)男子校の同窓会とは異なるソフトな雰囲気を感じた。

藤原支部長

喜寿のお祝い(私と同年)

同じ階では秋田県横手市の中高一貫教育校「横手清陵学院」の関東地区同窓会が開催されていた

男性役員2名挨拶。若い役員が会場で活躍していた印象を受けた

小林陽一Trio。小林氏は秋田出身

あげまき会会長と東京支部長と写真を撮らせてもらった

プロかと思う上手な歌い手

喜寿でお祝いされた人に挨拶して、私の高校時代の同級生と同じ中学の卒業生だと分った

ベレー帽の女性は体操のオリンピック選手(故)小野清子氏と同級生だったという