メールグループの縁で、隠岐の島在住の女性の作詞に、及川さんが曲を作り、私が画像を作ることになった。
今回も詳細なプロンプトはChatGPTで作り、画像生成はGoogle Whiskにした。今のところこの組み合わせが最も伝わる。
隠岐の島に伝わる小野篁と阿古那の恋物語を採り上げる。
小野篁(おののたかむら)が隠岐(おき)に島流し(配流)された経緯や、隠岐での生活、そして赦免された理由について、史実と伝承の両面からご紹介します。 🔹 島流しの原因(配流の理由) ◾ 公的な記録(史実) 時期:承和5年(838年) 事件:遣唐副使(けんとうのふくし)を命じられていた小野篁が、遣唐使船への乗船を拒否したことが原因です。 背景: 正使の藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)と意見が合わず、船の安全性や渡航時期に強く反対していたとされています。 特に、正使が自分の乗る船を変更し、副使である篁に危険な旧式の船を押し付けたという説もあります。 結果:命令違反および体制批判と見なされ、隠岐へ流罪となりました。 🔹 隠岐での生活(伝承と想像) 公的な資料は少ないですが、いくつかの伝承や後世の物語によって描かれる篁の隠岐での生活があります。 ◾ 一般的なイメージ 厳しい自然環境の中で、思索や和歌を詠みながら孤独な生活を送ったとされます。 島の人々との交流や、自然との対話を通じて精神的な修養の時期であったとも考えられます。 ◾ 阿古那姫(あこなひめ)の伝説 隠岐の民間伝承によれば、篁は島で「阿古那姫」という女性と出会い、深い交流や恋愛関係に発展したと伝えられています。 彼が赦免されて島を去る際、阿古那姫が海辺で彼の名を呼びながら見送ったという悲恋の逸話も残っています。 この伝説は『赦免船(しゃめんぶね)』の情景として詩や物語にもしばしば取り上げられます。 🔹 赦免された理由と復帰 ◾ 実際の赦免 承和7年(840年)、流罪から約2年後に赦免され、都に復帰します。 ◾ 赦免の背景 1.政権交代: 流罪時の天皇は嵯峨天皇(上皇)でしたが、復帰時には仁明天皇の治世に入っており、政治的恩赦が出やすい状況にあったと考えられます。 2. 篁の実力と人望: 漢詩・和歌・書道において高い才能を持ち、朝廷の知識層からも評価されていたことから、再登用を望む声があったとされます。 3. 改悛の情: 篁自身が罪を悔い、落ち着いた言動を示したことも、赦免の一因とされています。 🔹 復帰後の活躍 復帰後は朝廷で再び要職に就き、律令解釈や和漢の文筆活動に貢献しました。 その後も風刺や皮肉の効いた和歌を詠むなど、知的反骨者として知られました。 百人一首にも選ばれている有名な和歌(隠岐で詠まれたとされる)は以下の通りです: > わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと > 人には告げよ 海人の釣舟 (意味:私は多くの島々を越えて海へと漕ぎ出したと、漁師の釣舟に伝えてほしい)
🧭 まとめ表参議篁 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 配流の年 | 838年(承和5年) |
| 配流の理由 | 遣唐使船の命令拒否・体制批判 |
| 流刑地 | 隠岐(現在の島根県隠岐諸島) |
| 隠岐での伝承 | 阿古那姫との出会い・恋愛 |
| 赦免の年 | 840年(承和7年) |
| 復帰後 | 朝廷に復帰、文人官僚として活躍 |
「赦免船」作詞 : 高井初子 小野の篁 遣唐使 朝廷の命 背きしや 罪は配流の 隠岐の島 滞在するは 光山寺(コウザンジ) 馬上に在りて篁が 茶屋で見初めし 阿古那姫 二年ふた月祈願成り 待ちわびし沙汰 召還状 隠岐を発つ日も定まりて 阿古那に告げる この辛さ 労わし阿古那の 耐え姿 細き背中が波を打つ 去り行く船は 赦免船 島影に消える 夢の日々 海の向こうは都へと 続く無情な松街道 群青の海 凪になれ 阿古那は祈る 旅の無事

小野の篁 遣唐使

朝廷の命 背きしや

罪は配流の 隠岐の島

滞在するは 光山寺(コウザンジ)

馬上に在りて篁が 茶屋で見初めし 阿古那姫


二年ふた月祈願成り 待ちわびし沙汰 召還状

隠岐を発つ日も定まりて 阿古那に告げる この辛さ

労わし阿古那の 耐え姿 細き背中が波を打つ


去り行く船は 赦免船

島影に消える 夢の日々

海の向こうは都へと 続く無情な松街道

群青の海 凪になれ 阿古那は祈る 旅の無事

(その後の篁)

(阿古那)
メールグループの縁で、隠岐の島に住む女性が詠んだ詩にふさわしい画像を、AIによって生成することになった。平安時代、遣唐使の時代背景や、島流しに遭った公家の暮らしぶりについて、果たしてどこまで真実に迫れたかは定かではない。AIはしばしば江戸時代の武士や、宮中の女官の姿で描き出してしまう傾向があり、そのたびに修正を重ねる必要があった。試行錯誤の末に辿り着いた結果である。