北欧3国、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドはその順に西から並んでいるのですが、それらの首都、オスロ、ストックホルム、ヘルシンキがほぼ同一緯度線上にあるのは、偶然なのか、気候によるものなのか。
ノルウェーの首都オスロに「国立美術館」があります。
この美術館は1836年の創設と比較的古く、ピンクがかったレンガで 表面が覆われています。美術館としてはあまり記憶にない色をしています。 2階の展示室は天井から自然光が差し込み、明るくて鑑賞し易い。
これまでもあったように国立美術館として当然ながら、 ノルウェー人画家達の作品で大半が占められています。
中でも国際的に知られたムンクは別格で、広い1部屋が専用に宛がわれ、 その他の小部屋にも彼の作品が、あちこち散在しています。 私達が訪れた時は全部で58作品を数えました。
あの誰でも知っている「叫び」はここにあります。 実はムンクは「叫び」を4点描いているのですが、皆さんが目にされたのは おそらくこの国立美術館所有のものでしょう。
ムンクはゴッホに遅れる事10年、1863年の生まれで、 愛と死と不安の画家と言われます。
彼自身幼い頃から虚弱で、5歳で母を、15歳で姉を共に結核で亡くし、 身近に死と漠然たる不安を常に抱えていました。
1889年ノルウェー政府の奨学金を得てパリに留学するのですが、 その1ヵ月後に父が死亡。ますます不安の募る中で、 不安と狂気を発散しているゴッホの作品に強い影響を受けています。
この時彼は「サン・クルー宣言」と呼ばれているメモを書き遺しています。 「室内画、読書する人物、編み物をする女、そんな絵はもういらない。 呼吸し、感じ、苦悩し、愛する、生身の人間を描かねばならない。」と。
ベルリンへ移った1年後の1893年に「叫び」を発表。 その不気味な人物像、血濡れたような空、湾曲するフィヨルド、極端な遠近法等で 一目見たら忘れられない絵として、絵画に興味のある人達だけでなく、 世間一般に知られる画家となったのです。
4作の「叫び」の内、唯一個人蔵だった一作が昨年ニューヨークで競売にかけられ、 競売で売られた美術品としては、ドル建てでは史上最高額になる1億1992万ドルで 落札され、話題になったのはまだ記憶に新しいところです。
他のノルウェーの画家では、ノルウェー風景画の父と称される ヨハン・クリスティアン・ダール(1788-1857)の作品が目に付きました。 ノルウェーの人々は彼の絵を通じて自国の風景の素晴らしさを 改めて認識したといいます。
数はそれほど多くはないものの、ノルウェー人画家以外の作品も勿論あります。 クラナッハ、グレコ、ルーベンス、マネ、セザンヌ、モネ、ルノワール、 ゴーギャン、ゴッホ、ボナール、マティス、ピカソ、モディリアーニ等。
中ではカール・フェルディナンド・ゾーン(1805-1867)を初認識しました。 その画風からてっきりナザレ派の一人かと思ったのですが、 ナザレ派に強い影響を受けたデュッセルドルフ派に属するドイツ人画家でした。
ナザレ派は1809年、ウィーン・アカデミーに学んでいた学生6名が アカデミーに反抗して結成した集団を指し、翌年ローマのサンティシドロ修道院跡 に籠って中世の画家のような宗教への奉仕と共同制作を目指したもので、 彼等の髪を伸ばした異様な風体からナザレ派と呼ばれました。
後のラファエル前派の手本ともなりました。 主要人物にオーヴァーベック、プフォル、コルネリウスなどがいます。
ここにあるゴーギャンの静物画、ゴッホの自画像は今まで目にした事のないもので 共に印象に残りました。