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美術館訪問記 - 641 バルセロナ大聖堂、Barcelona

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:バルセロナ大聖堂正面 写真:Creative Commons

添付2:バルセロナ大聖堂内部

添付3:黒いマリア像のある礼拝堂 写真:Creative Commons

添付4:付属美術館入口

添付5:ハウメ・ウゲット作
「聖ベルナルドと守護天使」

添付6:バルトロメ・ベルメホ作
「ピエタ」

添付7:バルセロナ大聖堂屋上からの眺め

第74回のピカソ美術館のあるゴシック地区はバルセロナの旧市街になりますが、その中心にあるのが「バルセロナ大聖堂」。

3つの尖塔が特徴的な町のシンボル的な存在です。細かな装飾が施されたゴシック様式の外観が美しくも荘厳で、その佇まいに圧倒される大聖堂です。

この大聖堂の正式名称はサンタ・エウラリア大聖堂といい、バルセロナの守護聖人、聖エウラリアに献堂された教会です。バルセロナに大聖堂はこれだけで、最も格式の高い教会として知られています。

西暦290年にバルセロナで生まれたエウラリアは、敬虔なキリスト教徒でした。当時バルセロナを支配していたローマ帝国は、新興宗教であったキリスト教を厳しく弾圧。エウラリアは改宗を拒んだため、13の拷問を受けた末、13歳という若さで処刑されてしまったのです。

信仰を守り通した少女エウラリアの遺体は、その後、現在大聖堂のある場所に建てられた原始キリスト教会に埋葬されました。

その教会は後に異民族の侵入で破壊され、現在の建物は1298年に建設が始まり、およそ150年後の1448年に完成しています。

当初はレリーフも何もないシンプルな教会でしたが、1888年のバルセロナ万博に合わせてファサードが増築され、現在の壮麗な大聖堂へと生まれ変わったのです。

私が最後に訪れた2010年には改修中で、機材に覆われて撮影できなかったので添付写真はWikipediaから借用しました。改修は2012年に完成しています。大聖堂は長さ93m、幅40m、高さ28m、塔の高さは70mあります。

立派なファサードをくぐると、天井の高い堂内の正面にステンドグラスで囲まれた祭壇があり、堂内を取り囲むかのように28の小さな礼拝堂が配置されています。

煌びやかに装飾された金の祭壇にはキリストや聖人たちが祀られており、左側の一番奥にある礼拝堂には、「ラ・モレネータ(黒い女の子)」の愛称で親しまれている黒いマリア像が祀られていました。

黒いマリア像というと、奇異に感じる方もおられるかもしれませんが、第41回で触れた、聖母マリアを祀る、世界でもあまたある教会の中でも最高位のサンタ・カーサ聖所記念堂のご神体、聖母マリアが受胎告知を受けたという聖なる家の中に祀られていた聖母像も黒いマリア像でした。

中近東生まれの聖母マリアは、白人から見れば、黒く見えたのかもしれませんし、キリスト教信仰以前に中近東一帯に広まっていた黒い大地母神信仰が吸収されたものという説もあります。いずれにしろ、絵画や彫像に黒いマリアは時々目にします。

その他にも美しい彫刻が施された聖歌隊席、エウラリアが眠る地下礼拝堂、中庭等見所がありますが、中庭の一角に付属美術館もありました。

入ると、14-18世紀の宗教画が幾つか、3部屋に別れて展示され、入口近くにゴシック画の巨匠ハウメ・ウゲットの大きな祭壇画、一番奥の部屋の突き当たりにバルトロメ・ベルメホの「ピエタ」がありました。

バルトロメ・ベルメホは、1440年頃コルドバで生まれ、カタルーニャ公国やバレンシア王国などでの活躍で知られています。

本名はバルトロメ・デカルデナスでした。スペイン語で赤褐色を意味するベルメホという名前は、おそらく彼の髪の色に関係しています。

彼はフランドル地方の絵画技法を取り入れたスペインの画家ですが、フランドルを旅した記録はなく、公国や王国に伝わった絵画を参考に独学したと考えられ、今ではスペイン・ゴシック絵画の第一人者と見做されています。1498年頃、バルセロナで没。

後陣左手横にエレベーターがあり、屋上に上がれます。塔の上に出るのかと思ったら、屋根の上に橋のように通路を造っている所に出、高さ40mほどでしょうか。それほど高くはありません。

それでも4方遮るものがないため見通しが利き、吹き抜ける風が心地よい。海が近いためか湿度が高く、バルセロナの6月は蒸し暑く感じます。

サグラダ・ファミリアも視野に入って来ました。