次の町はアッシジ。ペルージャの東20㎞足らずの所にある山上の町です。
細長い形状のこの町の西側先端の斜面の上に建っているのが「サン・フランチェスコ聖堂」。
1182年アッシジで生まれ、1226年アッシジで亡くなった聖フランチェスコを祀る聖堂です。聖フランチェスコを祀る教会は世界中にありますが、その総本山とも言える聖堂です。
聖フランチェスコについては第164回で詳述しました。
彼は死後僅か2年に満たない異例の速さで教皇グレゴリウス9世によって列聖され、その翌日、教皇本人が基礎石を一つ置いて、1228年にこの聖堂の建築が始まり、1253年に一応の完成をみたと言われています。その後も何回も改修されていますが。
麓から車で登るにつれ、聖堂と付属修道院の建物が迫って来ます。修道院の建物のアーチが幾つも並ぶのがリズミカルで他にはない大きさです。
横幅の広い階段を上り詰めた所に聖堂がありますが、斜面を有効に利用するため建物は上堂と下堂との二堂に分かれています。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式と異なっています
素直に進めば下堂に入ることになりますが、上堂内に描かれたジョットのフレスコ画「聖フランチェスコの生涯」を先ず眺めておきたくて、上堂の入り口の方へ回りました。
内部は単廊式で、両側の壁はゴシック様式には珍しくステンドグラスは上方に小ぢんまりとあるのみで、広い面積をフレスコ画が覆っています。
このフレスコ画が1297年から1300年にかけてジョットとその工房が手掛けたと言われる「聖フランチェスコの生涯」28面なのです。
この一連の壁画で特に有名なのが、15枚目にあたる「小鳥に説教する聖フランチェスコ」です。
自然を愛した聖フランチェスコの説教は、小鳥たちにも理解され、翼を羽ばたかせたり、嘴を開いたりして喜びを表現したという逸話によるものです。
ただじっくり眺めてみると、ジョットの最高傑作と言われるパドヴァのスクロヴェリー礼拝堂(第63回参照)の壁画に比べると、かなり密度が低い、つまり、ジョット以外の手が大幅に入っているように感じました。
一枚一枚の絵が3.5畳相当と大きく、それが28枚ともなるとそれだけ一枚毎の密度が低くならざるを得ないのかもしれませんが。
この頃の記録は1800年頃に失われていて、確かめようがないらしいのですが、現在では、少なくとも3人の画家が手分けして描いたものだというのが通説です。
階段を下りて下堂に入ると主祭壇の右側にはチマブーエの「玉座の聖母子と聖フランチェスコ」やシモーネ・マルティーニの「聖フランチェスコ」など3点、ジョットの「キリストの受難伝」等があります。
左側にはピエトロ・ロレンツェッティの「磔刑図」。その下に「夕映えの聖母」。西側に開口部があるため、夕陽を受けて輝くであろう金地の聖母子が優雅に甘い。
主祭壇からは一番離れた入り口左手にあるサン・マルティーノ礼拝堂はシモーネ・マルティーニの傑作フレスコ画のオン・パレード。
楽人の描写が洒落ている「騎士に叙任される聖マルティーノ」は特に良い。ここは知られていないらしく、大勢の観客の内誰一人として入って来ませんでした。
更に一階降りるとクリプタ(地下祭室)があり、聖フランチェスコの石棺が安置されていました。
なお私達が訪れた1995年と2006年は聖堂内は撮影禁止でした。従って聖堂内の写真はサン・フランチェスコ聖堂のHPやWebから借用しました。