アシャッフェンブルクにはクリスチャン・シャドの作品が観られる場所がもう一つあります。それがヨハニスブルク城の南東400m程にある「シュティフト教会」。
1943年、シャドのベルリンのスタディオが爆撃で破壊された後、アシャッフェンブルクに引っ越して来たシャドへアシャッフェンブルク市当局は、1470年頃、アシャッフェンブルクに生まれたグリューネヴァルト作の「シュトゥパッハの聖母子」の模写を依頼します。
1947年に完成されたその模写祭壇画がこの教会に飾られているのです。
グリューネヴァルトについては第23回を参照して下さい。
シュティフト教会はアシャッフェンブルクで最古の10世紀の創建で、核となる部分はロマネスク様式ですが塔の部分は初期ゴシック様式。大部分が12世紀から13世紀のものです。
市内の小高い丘の上にあり、聳え立つ塔は町のシンボルとなっています。
内部は3廊式で結構奥行きがあります。教会内は幾つもの芸術作品で飾られ、この教会をこの地方でも最重要な宗教施設としています。
数例を挙げると、身廊の北側中央に10世紀の作という十字架があります。目を閉じ、胸脇の傷ある像はキリストが既に亡くなっていることを示していますが、体の姿勢と顔の表情は、死の克服を表現する静穏さを表しているかのようです。
グリューネヴァルトの本物の作品「キリスト哀悼」もあります。モミの木に描かれたこの絵は南側通路の礼拝堂にあり、壁にグリューネヴァルトの名とタイトル、1525年の制作年が書かれていました。
これまで観たことのない図柄で、キリストの頭上には聖母マリアの手らしきものがあり、足元にはマグダラのマリアが祈りを捧げ、背後には十字架と梯子の一部が見え、両側の2つの紋章はアシャッフェンブルク修道院にとってのマインツの大司教の重要性を示しています。
まるでキリストの十字架降下図の一部を切り取ったかのような図で、おそらく葬儀用の箱の正面を飾るものだったのでしょう。
この絵の上の壁には1528年死去したハインリッヒ・ライツマンの墓碑があります。ピエタ像の前で祈っている彼は、アシャッフェンブルク修道院の院長だった人物で1514年頃グリューネヴァルトに「シュトゥパッハの聖母子」の制作を依頼。
1487年製の側面に種々の浮彫の施された洗礼盤も見事です。
背後には三連祭壇画が掛かっていますが、中央の絵はアイザック・キニングという聞いたことのない画家が1527年制作の「東方三博士の礼拝」。両側はルーカス・クラーナハ派の手になる二人の聖女が描かれています。
この教会は北側と西側に二つの入口があり、西側入口は1220年頃のものでポータルには世界統治者としてのキリストの浮彫がありました。
教会北側入口下には教会付属博物館があり、中にはクラーナハと彼の工房作品三連祭壇画2点とリーメンシュナイダー作の木彫作品1点もありました。