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美術館訪問記-49 ベルリン絵画館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ヤコベッロ・デル・フィオーレ作
「天国での聖母戴冠」
ヴェネツィア、アッカデミア美術館蔵

添付2:ジャン・フーケ作
「エティエンヌ・シュヴァリエと聖ステファノ」

添付3:ベルリン絵画館正面

添付4:ボッティチェッリ作
「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」

添付5:ベルリン絵画館中央大広間

添付6:ペトルス・クリストゥス作
「若い女性の肖像」

前回のジャン・フーケの絵は、実は「ムランの二連祭壇画」と呼ばれる、 フランス、ムラン市の大聖堂にあった祭壇画の右翼だったのです。

聖母のモデルは当時絶世の美女と言われ、 フランス国王シャルル7世の愛妾だったアニエス・ソレル。 彼女はその美貌と知性で国王を牛耳り、専横を恐れた政敵により1450年、 29歳の若さで毒殺されたという。

アニエスはフランスでは国王以外は身に着けられなかったダイアモンドを初めて 着用し、自慢の乳房を露出するファッションを創出し、流行させたといいます。 フーケはその姿のアニエスを聖母として描いたのでした。

赤と青の天使達はその頃の宗教画にはよく使われた図柄のようで、 ヴェネツィアのアッカデミア美術館にある同時代の ヤコベッロ・デル・フィオーレ作「天国での聖母戴冠」でも、 赤と青の天使群がマリアとキリストの両側を取り巻いていました。 その二連祭壇画の左翼はドイツ、ベルリンの絵画館に所蔵されています。

こちらは幻想的で審美的な右翼とは対照的に、正確な遠近法で描かれた室内で、 膝まずいて祈るエティエンヌ・シュヴァリエと彼の守護聖人、 聖ステファノを写実的に描いています。

シュヴァリエはシャルル7世の財務長官兼外交官でした。 ルーヴルにあるジャン・フーケの描いた、「フランス国王シャルル7世の肖像」 と同じような赤い、袖の膨らんだ法衣のようなものを着ています。

この祭壇画はシュヴァリエの妻の墓の上に置かれていたので、 亡き妻の冥福を祈るための寄進画だったのです。 それにしては実に大胆で革新的な表現で、フーケの才能を物語っています。

「ベルリン絵画館」は1998年の開館と新しく、それまでボーデ博物館と ダーレム美術館にあった絵画のうち、18世紀以前の物を集めています。

コレクションは世界の一級品で、 ダ・ヴィンチとミケランジェロ以外は何でもあると言っても過言ではありません。 世界十大美術館の一つと言えます。 イタリア絵画に限れば世界のトップに並びます。

何せジョット、フラ・アンジェリコ、マザッチョ、リッピ、 ピエロ・デッラ・フランチェスカ、マンテーニャ、アントネッロ・ダ・メッシーナ、 ベッリーニ、クリヴェッリ、ポッライウォーロ、ルカ・シニョレッリ、 ボッティチェッリ、ジョルジョーネ、ロレンツォ・ロット、ラファエロ、 ティツィアーノ、アンドレア・デル・サルト、カラヴァッジョ等が 一堂に会しているのです。 建物も斬新で、中央の縦長の大広間は柱と壁と円形の天井窓が連なるだけの 広々とした白い空間です。 何の飾りも絵画もありません。 中央に「5-7-9シリーズ」というオブジェが 浅いプールのような水盤の中に低く位置するだけです。

絵画館の中にある絵画のない膨大なスペース。意表を突く設計です。 この大広間を2重に取り巻く形で59室が配置され、 更に地下に11室あるのですから、その所蔵品の量が知れるでしょう。

数ある名画の中から一つ採り上げるなら、美術館本の表紙を飾る、 ペトルス・クリストゥスの「若い女性の肖像」でしょうか。

この古代エジプトから抜け出してきたような装いの白面の美少女の眼差しは 心に焼き付いて、忘れられるものではありません。

円筒形の帽子、卵型の顔、半円形の首飾り、V字型の襟、 横一直線の胸元、それは薄い唇と眉、シンプルな背景の壁の線と並行で、 画家の計算し尽くした構図を感じさせます。

それにしては、この絵のキーポイント、左右でアンバランスな女性の眼は、 事実だったのか、計算なのか。 この、内に強い自信と自己主張を秘めた凝視がこの絵の魅力の鍵になっています。 ちなみに、何かで女性の顔を半分隠して交互に比べて見て下さい。 まるで異なる顔が出てくるでしょう。

ペトルス・クリストゥス(1410頃-1473)はフランドルで油彩画の技法を完成させた ヤン・ファン・エイクの死後、その工房を引き継いでいるので、 昔からエイクの弟子と考えられてきましたが、 近年の研究では全く師弟関係はなかったということのようです。

ペトルスという名のフランドルの画家がミラノにきたという 確かな記録が残っているとか。 第38回で述べたアントネッロ・ダ・メッシーナもミラノに行っているので、 ひょっとしたら二人はミラノで会い、情報交換と技術交換をしたのかもしれません。

そうすれば、メッシーナがイタリアで最初の 完成された油彩画技法の習得者だった説明がつきます。

この絵は1470年頃に描かれたとみられるので、クリストゥスの最晩年。 彼の全てを込めた作品といえるでしょう。 それだけの力と価値のある傑作です。


聖ステファノ:聖人、歴史上の人物。生年不詳、34年死亡
ユダヤ人キリスト教徒で、キリスト教最初の殉教者とされている。
石打の刑で死んだとされ、石と共に描かれる。

美術館訪問記 No.50 はこちら

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