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美術館訪問記 –477 バーリー・ハウス

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:バーリー・ハウス庭園内の鹿

添付2:バーリー・ハウス正面 写真:Creative Commons

添付3:バーリー・ハウス前庭からの眺め

添付4:オラツィオ・ジェンティレスキ作
「聖母子」

添付5:ヨース・ファン・クレーフェ作
「聖母子」

添付6:ルカ・ジョルダーノ作
「ヴィーナス、キューピッドとサチュロス」

添付7:カルロ・ドルチ作
「パンとワインを祝福するキリスト」

添付8:サッソフェッラート作
「聖母子」

添付9:バーリー・ハウス内天国の間

野生の鹿の群れる大邸宅というとウォバーン・アビーから60㎞程北に位置するスタンフォードの町にある「バーリー・ハウス」。700エーカー、84万坪の森林と、8000エーカー、つまり960万坪の庭園・農地に囲まれた豪壮な宮殿。

バーリー・ハウスはエリザベス1世の第一の側近、ウイリアム・セシルの邸宅として1558年から1587年にかけて建設され、後に彼の子孫が大幅な改造を加え現在に至っています。

豪壮なチューダー様式の大邸宅で屋上には塔が林立しています。当時暖房設備を持てるのは金持ちに限られ、煙突の数の多さは富の象徴でもあったのです。

ウイリアム・セシルは国務長官、大蔵大臣を務めて、40年近くもエリザベス1世に仕え、1571年にバーリー男爵に叙せられています。後を継いだ長男トーマスには1605年エクセター伯爵が与えられ、約200年後の1801年にはエクスター侯爵に叙せられ、現在は第8代エクスター侯爵が当主。

バーリー・ハウスを建築当初からがらりと変身させ、現在のような美の宝庫にならしめたのは5代目エクセター伯爵ジョンと9代目エクセター伯爵ブラウンロー。

ジョンはデボンシャー公爵の娘、アン・キャベンディッシュと結婚。夫妻は美しいものと旅行への情熱を生涯絶やすことなく、イタリア、フランスなどへ旅行しては絵画、タペストリー、彫刻、家具、オブジェなどの美術品を持ち帰ったのです。

また美術品のみならず、画家や彫師、織師、塑造師といった職人たちをも従えて帰国し、バーリー・ハウスの一大改装に着手。

彼らの死から約70年後には、ブラウンローが曾祖父ジョンの生き写しのように、絵画やタペストリー、陶磁器などをヨーロッパ諸国や東洋から買い集め、資金不足でジョンの時代に未完成に終わっていた室内装飾を完成させました。

さらにこの時代、「ケイパビリティ・ブラウン」のニックネームで有名な造園家、ランスロット・ブラウンがそれまで448エーカーだった庭を3倍近い1400エーカーにまで拡大、池や橋をつくり、庭を見渡せるように邸宅にも改築を加えるなど、総合的な改革が行われたのでした。

現在4階建ての広壮な館は1975年に第7代エクセター侯爵が創設したバーリー・ハウス保存財団によって管理されていますが、3,4階には侯爵一家が暮らしており、公開されているのは1,2階の18部屋のみ。

全体では30の大部屋と80近くの小部屋があるのだとか。

各部屋に鈴なりに絵画が掛かっていますが、真作は少ない。殆どが一目でそれと判る偽作ばかり。5代目夫妻と9代目は余程鑑識眼が無かったのでしょう。世に知られた画家による真作は全体の1割未満というところ。

5代目は1628年生まれ、9代目は1725年生まれですから、当時は美術館もまだ存在せず、芸術後進国だったイギリス育ちの貴族に鑑識眼を期待する方が無理な話で、画商たちの良いカモだったのでしょう。

ショップで購入した小冊子にもFollower(追随者)作やAfter(模写)、Attributed to(帰属)、Studio of(工房)、Style of(同一様式風)、School(派)などの修飾語の付く絵が数多く並んでいます。

それでも絵画が全部で700点余りあるということなので、まともな絵が60点近くありました。

幾つか印象的だったものを採り上げてみましょう。

先ずはオラツィオ・ジェンティレスキ作「聖母子」。これは9代目が1768年、グランド・ツアーに出かけた折に、教皇クレメント14世から贈られたもので、教皇を騙すような不届き者はいなかった事でしょう。

フランドルの画家、ヨース・ファン・クレーフェ(1485-1540)作「聖母子」。これは9代目がレオナルド・ダ・ヴィンチ作として購入したものですが、ファン・クレーフェ作なら上等ですし、出来もよい。

ルカ・ジョルダーノ作「ヴィーナス、キューピッドとサチュロス」。これは5代目がヨルダーンス作と信じて1688年に購入したものですが、ヨルダーンスの作風とは全く異なる代物。ただルカ・ジョルダーノ作ならヨルダーンスと比べても作品の価値としてはどちらが上かわかりません。

カルロ・ドルチ作「パンとワインを祝福するキリスト」。5代目が3回目のグランド・ツアーでフィレンツェに滞在した時に買ったものです。5代目はドルチが一番の好みだったとかで、他にも5点ありましたが、流石に大好きな画家の作品を観る眼は確かでした。

サッソフェッラート作「聖母子」。18,19世紀のグランド・ツーリストに人気のあったサッソフェッラートは前回のウォバーン・アビーにも2作ありましたが、ここにも2作。9代目が1769年ローマで購入しており、20ポンドの領収書が残っています。現在価値ではおおよそ100万円余りといったところです。前回のカナレットもそうでしたが一流画家にしては当時の画料はかなり安かった。

天国の間と名付けられた部屋と地獄の階段と名付けられた階段と踊り場は、壁や天井全てがアントニオ・ヴェリオ作の壁画で埋め尽くされています。これらはいかにもバロック時代らしい3D的なだまし絵になっており、迫力満点。

アントニオ・ヴェリオ(1636-1707)はナポリ王国の生まれです。イタリアで修業後、フランスで仕事をしていた36歳の時、駐仏大使だったモンターグ侯爵の知遇を得、彼のつてでイギリスに渡り、チャールズ2世付の画家として活躍。

ウインザー城の20の天井、3つの階段、王室礼拝堂、聖ゲオルギウス大ホールの装飾を10年がかりで仕上げるという大仕事をやっています。この時彼が受け取ったのは10195ポンド。1684年の事ですから現在価値では10億円近いでしょう。

1685年にチャールズ2世が亡くなると、一時的に王室との縁が切れ、5代目の依頼で10年近くを費やしてバーリー・ハウスの壁画を手掛けるのです。

その後チャールズ2世の後を継いだウイリアム王からハンプトン・コートの装飾を頼まれ、王室からハンプトン・コートに1室を賜り、200ポンドの年金をもらいながら1707年死去しています。

ここも室内は撮影禁止。従って絵画や内部画像はバーリー・ハウスのホーム・ページから借用しました。