チューリッヒというと思い出されるのは「ビュールレ・コレクション」。
現在は閉館され、2021年にチューリヒ美術館に全コレクションが移管されます。閉館された美術館を採り上げるのは初めてですが、チューリヒ美術館でその全貌を観られるのですからたまにはよいでしょう。
ドイツに生まれ、スイスで後半生を過ごしたエミール・ビュールレ(1890-1956)は、第一次・第二次世界大戦を経験し、実業家として成功して富を築きました。武器商人だった彼は心の拠りどころとして美術作品を収集し、コレクションはチューリヒにある邸宅の隣の別棟に飾られました。
第二次世界大戦後、戦乱の余波でスイスに集まっていた名画を比較的容易に収集できたのです。
大学で美術史や哲学を学んだ彼の鑑識眼は極めて高く、主に17世紀オランダ絵画から20世紀の近代絵画に至る作品、中でも印象派・ポスト印象派の作品は傑作中の傑作が揃い、そのコレクションの質の高さは驚嘆に値します。
彼は孤独を好み、集めた作品は一人で鑑賞することが多かったのですが、1956年にエミールが死去すると、遺族は、相続税支払いのためコレクションを売却する代わりに、財団を設立して所有権を移す方法を選択。保管場所だった邸宅を美術館に改装し、1960年にオープンしたのです。
私達がチューリッヒ湖畔の高台にある邸宅を訪れたのは2001年7月25日。当時は週に3日のみの開館で、水曜日のこの日は17時開館20時閉館という変則的なもの。
何の目印もなく、住所だけを頼りに漸く行き着いた美術館は3階建ての個人住宅。その家の部屋や通路の壁一面に個人コレクションとしては超一級の作品群がひしめいていました。
ビューレは収集にあたって、画家毎に魅力的で、様式的に意味のある作品だけを選び抜いたように思えます。
古い方から代表的な作品を採り上げてみると、まずはフランス・ハルスの肖像画。レンブラントと並ぶオランダ黄金時代の最大の肖像画家の近代に通じる力強く効果的な筆使いがよく出ており、モデルの本質的な特徴以外のものは全て排除されています。
男の右目、顔面、親指の爪にさした明るい赤のタッチと、唇のそれよりわずかに薄い赤色が、この肖像画に一層の生気を与えています。
続いてコローの「読書する少女」。この絵はコローが描いた読書する人物像の最初の1作であり、コローはこの主題を生涯を通じて繰り返し描いています。
彼は1843年の3度目のイタリア旅行から帰国した後、人物画の研究に専心します。近所の女性をモデルに雇い、イタリアの衣装で着飾らせ、本を持ったり、マンドリンを抱えたり、単に夢想にふける姿で描いたりしたのでした。
セザンヌの「赤いチョッキの少年」は、彼の描いた最も有名な肖像画でしょう。頭を支える腕の直線や、背中や手前に長く引き伸ばされた腕の曲線が、カーテンやテーブルクロスの斜めの線と絶妙な均衡を保っています。
画面周辺の沈んだ色調に囲まれ、少年の顔と赤いチョッキ、右腕を包むシャツの白さが際立っています。色彩が豊かになるほど形が豊かになる、というセザンヌの言葉が浮かんで来ます。
ルノワールの「可愛いイレーヌ」も絵画史上最強の美少女と謳われた彼の最高傑作。女性の優美さと繊細さを表現するルノワールの卓越した画才に見惚れてしまいます。ビュールレはこの絵のモデルであるイレーヌ本人から購入したのだとか。
ゴッホの「種まく人」も彼のイコンとも言える作品です。
ミレーの「種まく人」の複製を大事に持っていたゴッホは彼への尊敬の念と、父が牧師で一時伝道師を志して挫折した自分の宗教的思い、つまり、一粒の種まかれて死ねば豊かな実を結ばんという連想と、日本の浮世絵への称賛を込めてこの絵を描いたと考えられます。
夕暮れになっても黙々と種をまき続ける農民の頭上にかかる太陽は聖人の頭上に描かれる光輪に模しており、労働への賛歌でもあるのでしょう。
この絵は彼がゴーギャンとアルルで共に暮らした間に描かれた絵の中の唯一の署名作品で、そこにも彼の想いが込められているように思えます。
ところで2008年2月10日、間もなく閉館という日曜日の夕刻、武装した国際強盗団が美術館に押し入り、ドガ、セザンヌ、モネ、ゴッホの油彩画4作品を強奪するという事件が勃発しました。
当時の共同通信の報道によれば、被害総額は約175億円。
幸い全作品は2012年までに無事回収されましたが、この事件を機に、美術館は警備の見直しを余儀なくされ、個人美術館にとって警備費用の増大は負担が大きく、ついに閉館という事態に至るのです。
2021年に完成のチューリヒ美術館・新館への移管まで収蔵品は世界を巡る事になり、2018年には64点が日本に来て、東京では新国立美術館で展示されていましたからご覧になられた方もおられるでしょう。
当美術館内部は撮影禁止。従って画像はWebから借用しました。