前々回のルーアンに来たら「ジャンヌ・ダルク教会」を訪れない訳にはいきません。
ジャンヌ・ダルクが1431年5月30日、僅か19歳で火刑になった旧市場広場に建てられた比較的新しい教会です。1979年の献堂。
ジャンヌ・ダルクは1412年、フランス東部の小村ドンレミの農民の娘として生まれます。
13歳時にフランスの解放を神に託されたと信じ、17歳でシャルル7世から授かった軍隊を率いてオルレアン城の包囲を解くなどイングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献しました。
確たる歴史上の女性で、実際に戦闘の現場に立ち、これほど華々しい戦果を挙げた人物は他にいないでしょう。
しかし逆にそのことが政敵に危惧を抱かせ、裏切りによりジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となってしまい、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡されてしまいます。
イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって宗教裁判で異端の宣告を受けてルーアンで火刑となるのです。
死去の24年後に、ローマ教皇カリストゥス3世が公認してジャンヌの復権裁判が行われ、ジャンヌの無実と殉教が宣言されています。
彼女は1920年に列聖され、フランスの守護聖人の一人となっています。列聖まで死後489年要したというのも珍しい。
ルーアン美術館から200m程の場所にあるジャンヌ・ダルク教会は一見、教会とは思えないユニークな外観をしていますが、このデザインは魂が天に昇って行く形を表しているのだとか。
内部に入ると豊かな空間が広がっており、天井は船底形で明り取り部分を除いてぬくもりのある木で組み立てられています。
教会の北側は1944年に破壊された聖ヴァンサン教会から移されたルネサンス期のステンドグラスが壁一面を占拠しており、5000㎡あると言います。
これらのステンドグラスは1520年から1530年にかけて制作されたもので、第二次世界大戦中、戦火を避けるために取り外され、保管されていたために爆撃を免れていたのです。
教会の横には神に祈りを捧げるジャンヌの石像が設置されており、人々が献花した花々で囲まれています。今では彼女は国民的英雄であり、皆に愛されている証でもあるのでしょう。
教会前の広場に建つ家々は独特な木組みの建物で、こうした建築様式はハーフティンバー様式と呼ばれ、ルーアンのあるノルマンディー地方で多く見られますが、近隣のドイツやイギリスでも見かけます。