第341回の大聖堂付属美術館の展望台から眺めたシエナの景色でも判るように シエナの街は壁も屋根も土色の建物が多い・
唯一の例外は白い大理石で覆われたシエナ大聖堂。
今回採り上げる「サン・マルティーノ教会」もややくすんできているものの ファサードは白い大理石が使用されています。
カンポ広場のすぐ近くにあり、シエナで最も古く創設されたらしいのですが、 現在のバロック様式の白いファサードが完成したのは1613年で、 当初の建設部分は一切残っていないという事です。
内部はシンプルな単廊式。
先ずベッカフーミの「キリスト降誕」が目に入って来ました。
この絵の人物描写はまごうかたなくベッカフーミの手になるものですが、 彼のいつもの霧のかかったような幻影的な背景は姿を潜め、 むしろフィレンツェ派の合理的で幾何学的な安定感を感じます。
背景の廃墟の精密な描写や可愛い天使達はラファエロ的。
聖母子たちの頭上を円形を描いて宙を舞う天使達はラファエロの 「バルダッチーノの聖母」で聖母子の頭上を舞う天使達の 見事な発展形と言えるでしょう。
続いてグイド・レーニの傑作「キリストの割礼」がありました。
グイド・レーニは1575年イタリア、ボローニャの生まれ。 当時町の第一人者だったフランドル出身の画家、カルファートに学びます。
しかしレーニは伝統的なカルファートの絵画に飽き足らず、1594年、 カラッチ一族の画塾に移ります。
1599年画家として独立したレーニは、1602年ローマに出て、 洗練された演劇性と感傷性、大胆な構想と計算された構図、均整のとれた人体表現、 豊かな色彩などから古典主義画派の指導者的存在となり、 ラファエロの再来とまで呼ばれるようになるのです。
当時の教皇パウルス5世やその甥にあたる枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの注文を 受けていましたが、1612年、宮廷人としての生活より自由な画家としての活動を 選び、故郷ボローニャに戻るのです。
以降は1642年に没するまで短期間の旅行を除いてボローニャを離れず、 制作と後進の指導に努めたのでした。
この教会にはレーニ同様カラッチ一族の画塾で学んだ、イタリア、バロック美術を 代表する一人、グエルチーノの「聖バーソロミューの殉教」もありました。
聖バーソロミューはキリストの12使徒の一人でアルメニアで殉教したとされます。