戻る

美術館訪問記-334 エトルリア・アカデミー博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:エトルリア・アカデミー博物館正面

添付2:エトルリア・アカデミー博物館入口

添付3:エトルリア・アカデミー博物館中庭

添付4:エトルリア・アカデミー博物館内部

添付5:ルカ・シニョレッリ作
「聖母子とコルトーナの守護聖人たち」

添付6:ピエトロ・ダ・コルトーナ作
「聖母子と諸聖人達」

添付7:ジーノ・セヴェリーニ作
「乳を飲ます聖母」

エトルリア文化の中心都市であり、1200年にイタリア最初の自治都市となった 町の一つであるコルトーナには司教区美術館以外にも訪れるべき 美術関連施設が多くあります。この機会にそれらをカバーしておきましょう。

まず司教区美術館のすぐ近くにあるのが「エトルリア・アカデミー博物館」。

この博物館は「エトルリア」と称しているので、エトルリアだけに関する博物館と 誤解しそうですが、単にエトルリアに留まらず、ギリシャ・ローマ時代の遺跡から 現代絵画までを網羅する幅広い展示を誇っていて、 その実態はコルトーナ市立総合博物館と言うべきものです。

1727年のエトルリア・アカデミーの創設を機に、当時のコルトーナの司教が 絵画、図書、エジプト関係のコレクションなどを寄贈した 古代エジプトの棺やミイラも展示されています。

18世紀のヨーロッパでは、エジプト関係の遺跡などの収集が流行していたそうで、 ミイラやそれを収める棺は自慢できる最大の収集物だったのだとか。

博物館は13世紀に建てられその後幾多の増改築を経てきた宮殿に、図書館と同居。 入ると中庭がありニーノ・フランチーナという彫刻家の「大きな紋章学」という 彫刻がおいてありました。外付の階段を上がり2階の展示室へ。

考古学的発掘品が並んでいます。コルトーナの町の歴史を反映して エトルリア時代のものが多い。

絵画作品の収集も美術館にひけをとりません。

ルカ・シニョレッリの2点を始めとして、バルトロメロ・デッラ・ガッタや ネーリ・ディ・ビッチ、ビッチ・ディ・ロレンツォ、ピントゥルッキオ、 チンゴリ、ミケーレ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ等がありました。

中ではサン・アゴスティーノ教会にあったというピエトロ・ダ・コルトーナの 「聖母子と諸聖人達」が端麗で出来がよいと感じました。

ピエトロ・ダ・コルトーナは本名ピエトロ・ベレッティーニ。 その名のとおり、1596年コルトーナの石工の家の生まれです。

フィレンツェの画家の下で修業し、17歳で師と共にローマに出、 以後主にローマで活躍します。

ダイナミックな構成と人物の劇的なポーズ、装飾的かつ優雅で豊穣な表現等で ローマ画壇を牽引する画家となるばかりでなく、 ヨーロッパのバロック期を代表する画家の一人となります。

彼の作品はイタリアだけでなく世界中の美術館でよく見かけます。

コルトーナ出身の近代画家ジーノ・セヴェリーニの部屋もあり、 彼の代表作「乳を飲ます聖母」という現代の聖母子像もありました。

彼は1883年コルトーナの生まれで、16歳でローマに出、美術の勉強を始め、 翌年、画家・彫刻家のウンベルト・ボッチョーニに出会います。

23歳でパリに出、モンマルトルに居を構え、モディリアーニやデュフィ、 ブラック、ピカソ、ヴァラドンなどと交友し、キュビスムに手を染め、 1910年の「未来派芸術宣言」にはボッチョーニ、カルロ・カッラ等と共に 署名人に名を連ねています。

以後、新古典主義や抽象絵画を試みたりしながら1920年以降はパリとローマを 行き来しながら暮らし、1966年パリで死亡。コルトーナに葬られています。