前回名前の出たハートフォードは、日本ではあまり知られていませんが、 アメリカ、コネティカット州の中央付近にある、人口120万人以上の大都市です。
高層ビルが建ち並ぶ中心街の一画に「ワズワース・アテネウム美術館」があります。
1844年の開館で、アメリカ最古の美術館。
単なる歴史ある美術館というばかりでなく、コレクションも素晴らしい。
アメリカでは数少ない、歴史の重みを感じさせる建物を入って直ぐが、 3階ぶち抜きのホールになっており、 中央に、真ん中に大理石の彫刻を配した、大理石枠の泉水があります。
ガラス張りの天井からサーカスのブランコ乗りの石膏像がつり下がっていました。
ピエロ・ディ・コジモやクラナッハ、ティントレット、グレコ、カラヴァッジョ、 スルバラン、アングル、コロー、ミレー、印象派、ゴーギャン、ゴッホ、ボナール、 バーン=ジョーンズ、バルテュス等傑作が数ある中で、 これまで紹介して来なかった、 ヨーロッパとアメリカの画家を一人ずつ採り上げましょう。
まず、一目でそれと判る独特の鋭い目つきの人物像の多いサルヴァトール・ローザ。
17世紀イタリア、ナポリの出身でリベーラの下で修業しましたが、 初期の作品にその影響を色濃く残すのみで、ほどなく独自の境地に達しています。
彼は風景、肖像、哲学、悪党、寓意、魔女といろんなモチーフに挑戦していますが、 風景画と肖像画にその特長がよく出ているようです。
彼はクロード・ロランと並んで、当時、ピクチャレスク絵画の第一人者でした。
ピクチャレスク絵画とは、絵のような風景画という事で、 まさに絵のように美しく、我々が快く感じられる風景画を指します。
つまり、現実の風景をリアルに写し取るのではなく、理想美を追求し、 物語性を加え、これぞ一幅の絵という景観を作り出した絵画なのです。
この美術館には、彼の「詩の象徴としてのルクレティア」があります。
彼女が左手に持った本は閉じられているので、 右手に持った筆で彼女は何を書こうとしているのでしょうか。
詩人でもあったローザは、自分を彼女に置き換え、鋭い目でモデルを 肩越しに見据えながら、背景のキャンバスに筆を置こうとしているのでしょうか。
アメリカの大多数の美術館で所蔵されているのにもかかわらず、アメリカ以外では 全く見かけない画家に、アボット・セイヤー(1849-1921)がいます。
セイヤーはボストンの医者の息子で、子供の頃から自分も認める鳥気狂い。
オーデュボンのアメリカ鳥類図鑑を飽かず眺め、自らも鳥を描きとめていたのが 画家になるきっかけで、18歳でニューヨークのナショナル・アカデミーに入り、 本格的に絵の道に進む事になります。
26歳で結婚し、パリに移り、官立美術学校で4年間勉強の後、 ニューヨークに戻り、肖像画家として独立します。
マーク・トウェインも描くなど、徐々に認められてきた頃、 5人の子供の内2人を1年おきに失い、実父の死亡も加わり、 妻は精神的に病んで、亡くなってしまいます。
セイヤーは程なく幼馴染と結婚し、以後ニューハンプシャーの山里に籠り、 風景画や残った3人の子供達をモデルにした絵を多く描いて暮らすのです。
子供達を全く学校には行かせず、セイヤーの家庭教育のみで育てるのですが、 内二人は画家になり、父の情熱を継承しています。
この美術館には彼の「座った天使」があります。
モデルは、通常は子供達が努めていたのですが、 この絵は、セイヤーの家の家政婦の親族で、 アイルランドから遊びに来ていた、ベッシー・プライスです。
彼女はセイヤーに気に入られ、本人も望んでセイヤー家の家政婦になり、 この後も幾つかのセイヤーの絵の天使のモデルになっています。
ワズワース・アテネウム美術館のあるハートフォードまでは、 ニューヨークから、車なら2時間半程で、バスや鉄道の公共機関もあります。
ニューヨークとボストンの中間にあり、3箇所を訪れる旅も楽しいでしょう。