美術館訪問記-158 ストラホフ修道院

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ストラホフ修道院外観

添付2:図書室「哲学の間」

添付3:図書室「神学の間」

添付4:ストラホフ修道院内絵画館入口

添付5:「ストラホフ・マドンナ」 1340年頃作

添付6:ハンス・フォン・アーヘン作
「十字架を運ぶキリスト」

添付7:セバスティアーノ・リッチ作
「天井の音楽を聴く聖フランシスコ」

添付8:ポンぺオ・バトーニ作
「イサクの犠牲」

添付9:ヤン・グルッスによるデューラー作「薔薇冠の聖母」の模写、1840年

プラハ城前のフラッチャニ広場から西に500m程ゆるやかな坂を上ると 「ストラホフ修道院」があります。1140年に建てられたもので、 美しい白壁に赤い屋根とバロック様式の2本の尖塔が印象的な修道院です。

中世からの姿を今に伝える図書室は特に素晴らしく、 世界で最も美しい図書室の一つと言われています。

ただ中には入れず、拝観料を支払って入口から覗くだけですが、 中国人と日本人の2組の団体客で混雑していました。

高い天井に絢爛たるフレスコ画が描かれ、蔵書が左右と奥に整然と並べられている 「哲学の間」は1782年頃に完成し、その名の通り主として哲学や天文学、 数学に歴史、文献学などの本が並んでいるそうです。

その隣にあるのが、半円天井に施された贅沢なスタッコ細工とフレスコ画が豪華な 「神学の間」。1679年に造られ、幾つもの言語で書かれた様々な聖書を所蔵。 地球儀や神父の彫像、書見台なども置かれていました。

図書室から100m程離れた場所に目当ての絵画館があります。 日本と中国の団体客はこちらには誰もやって来ません。

中に入るとストラホフ修道院と周辺の縮尺模型が置いてあり、 係りの人が片言の英語で何があるのか説明してくれました。 教会や庭園、修道僧の居住棟等を含む広大な敷地です。

プラハの街の歴史と共に古くからあるこの修道院は、 その図書室の充実ぶりからも判るように、勉学と文化の拠り所でもありました。

修道僧や街の人々の教養の一環として絵画の収集も早くから行われて来ました。 今では1500点もの所蔵絵画があり、その中から順に展示されているようです。

第154回で触れた、今はシュテルンベルク宮殿にあるデューラーの名画 「薔薇冠の聖母」は1606年、ルドルフ2世が購入したのですが、1793年に 修道院に与えられ、それを見たさに大勢の人々がやってくる場所でもあったのです。

修道院内にある絵画館ですから、当然ながら主題は宗教画が殆どを占めます。

展示室に入ると「ストラホフ・マドンナ」と題された1340年頃に ボヘミアで描かれたという迫力ある聖母子像が迎えてくれました。

聖母子共に皮膚の色がやや浅黒いのが面白い。 当時のボヘミアは中近東系色が強かったのでしょうか。

続いてこのところ何度か出てきているハンス・フォン・アーヘンの 「十字架を運ぶキリスト」がありました。

以降添付の写真はストラホフ修道院のホームページから拝借したのですが、 ここには修道院には珍しく全所蔵品を収めたURLがあります。
Royal Canonry of Premonstratensians at Strahov - Strahovský klášte

ここの図書室と絵画館はそれぞれ撮影料を払えば撮影可なのですが、 絵画館は照明が暗く、フラッシュは禁止なので良い写真が撮れなかったのです。

図書室の方は何とか使える写真が撮れる明るさがありました。

セバスティアーノ・リッチの「天井の音楽を聴く聖フランシスコ」も 彼らしい明るい色彩と優美、軽快な作品で心地よい。

セバスティアーノ・リッチ(1659-1734)はヴェネツィア生まれで ロココ風の優雅で軽妙な色彩と形態でヴェネツィア絵画に革新を起こし、 後に続くティエポロやフランスのブーシェにも多大な影響を与えました。

実際ティエポロとリッチの絵は区別のつけにくい場合があります。

リッチはロンドンに5年間、パリに2年間、ウィーンやローマ、ピアチェンツァ、 フィレンツェ、ミラノ、パルマ、ボローニャ等に滞在して王侯貴族の注文をこなし、 国際的にも高い評価を受けた大画家でした。

ポンぺオ・バトーニやヘラルト・ドウ、アンソニー・ヴァン・ダイク等もあり、  地元の画家ヤン・グルッスが1840年に描いた、本物と見間違うような デューラーの「薔薇冠の聖母」の模写もありました。

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