大塚国際美術館は日本が誇れる美術館とはいえ、本物はありません。
真作のある美術館で四国一番といえば、愛媛県松山市の道後温泉にある「セキ美術館」でしょうか。
温泉街にある美術館というと、温泉客の暇潰しに造られた羊頭狗肉なものを 想像するかもしれませんが、ここは違います。
温泉街から少し入った住宅街の中にある3階建てで、地下1階と合わせて 6部屋の展示室という、個人の家のような建物なのですが、 美術館として設計、建造されたもので1997年の開館。
松山市で印刷業を営むセキ株式会社の創業者一族が3代に渡って収集した 300点余りのコレクションの内、70点ほどを順に展示しています。
日本の近現代の洋画、日本画、オーギュスト・ロダンの彫刻と版画の3分野で、 外国人画家の作品はありませんが、日本の一流どころを網羅しており、質が高い。
洋画では浅井忠、梅原龍三郎、岡鹿之助 、荻須高徳 、香月泰男、金山平三、 国吉康雄 、黒田清輝、熊谷守一、小磯良平、小絲源太郎、須田国太郎、鳥海青児、長谷川利行、林武 、藤島武二、藤田嗣治、宮本三郎、脇田和、和田英作など。
日本画は伊藤深水、上村松園、上村松篁、上村淳之、加山又造、川合玉堂、 川端龍子、小林古径、杉山寧 、高山辰雄 、東山魁夷、中島千波、平山郁夫、 前田青邨、山口蓬春 、横山大観 、横山操、棟方志功など。
特に小磯良平の「窓の静物」には惹かれました。 色彩の調和が素晴らしく、写真では伝わらないかもしれませんが、 絵が濡れて輝くようで、陶然として見惚れ、暫し茫然と佇んでいました。
藤田嗣治と国吉康雄という、日本人ながらフランスとアメリカで活躍した、 日本人画家としては数少ない、外国でも著名な二人の作品が並んでいるのも心憎い。
国吉康雄(1889-1953)は特異な画家です。
日露戦争が終わった翌年の明治39年、1906年に17歳で岡山の工業高校を中退して 単身渡米。何かの目的やつてがあった訳ではなく、単なる冒険旅行だったのだとか。
国吉が後ほど語っていますが、「私は何も知らなかった。世界がどうなっているのか、 ましては自分は何が好きで、何になりたいのかなど、つゆほども判っていなかった。」
グローバル化された昨今ならともかく、100年以上前に、言葉も金も不自由で 高校を中退して飛び出すというのは、常人には想像し難い心境です。
シアトルに辿り着いたものの、過酷な労働で日々の糧を得ながら西海岸を南下。
ロサンゼルスに達する頃には英語も話せるようになり、公立学校に通い、 教師の勧めで絵画に手を染め、自分の道はこれだと定めます。
1910年にはニューヨークに渡り、働きながらアート・スチューデンツ・リーグに 通い、1922年には初の個展を開けるようになるのです。
1929年にはニューヨーク近代美術館が開催した「19人の現代アメリカ画家展」に 選ばれ、アメリカを代表する画家の一人と見做されるようになっていきます。
実際アメリカの名だたる美術館では、殆ど洩れなく彼の作品を観る事ができます。
面白い事に彼の国籍を日本としている所はなく、完全にアメリカ人扱いです。 国吉はアメリカ人と結婚するもののアメリカ国籍は収得できずに終わったのですが。
彼の画風は生涯を通じて変化していきますが、ここが所有している作品のように 都会に生きる憂愁と倦怠、孤独感漂う女性像はその中心となっています。
他にはロダンの大変珍しい修業時代のテラコッタ 「ヴィーナスあるいはフローラ」に加え、彼の彫刻や挿絵、珍しい銅版画、 ブールデルの彫刻、ルノワールの「ロダンの肖像」のリトグラフなどもありました。