新型コロナも社会の対応が変わってもう収まったような風潮である。季節も桜から牡丹、藤の花も終わりかけ、春の撮影時期が一段落したところで囲碁部月例会に参加した。前回参加したのは去年の9月24日だった。
昨年までは10時開始で5局だったのが今年から12時開始の4局になったことも有難い。
碁盤をはさみ対面で打ったのは今年の正月の町田市民囲碁大会以来だった。2子曲の白番で連敗してしまった。自分としてはこの手合いがいつも勝率が最も悪い。その後気合を入れ2連勝して何とかevenとした。
一か所に集まって、同じ趣味の気心の知れた人たちと和気あいあいと楽しい時間を持つことができた。
久しぶりの市ヶ谷の日本棋院は土曜日の割には閑散としていたように思う。昔はもっと一般対局や子供教室などでにぎわっていた。
先日囲碁の公式棋戦で最も歴史の古い本因坊戦が大幅に縮小されたとの報道があった。主催者の毎日新聞が経営不振だといい、新聞社の主催では時間の問題と思っていた。他にも囲碁専門紙「週刊碁」休刊のニュースなども伝わる。
ある記事によると世界の囲碁人口は4000万人といわれ30年後には8000万人という。日本だけ減り続けるのだろうか。
日本棋院の1階エントランスに高川格9段と川端康成の写真があった。
高川格9段(1915年9月21日 - 1986年11月26日)は本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格と号した。
川端康成は、1940年に「本因坊秀哉名人」を雑誌『囲碁春秋』8月号から10月号まで掲載した。また、1938年には『東京日日新聞』に「本因坊 名人引退碁観戦記」を連載した。川端康成は、囲碁に興味を持っていたことが知られており、没後50年の2022年には、囲碁殿堂入りを果たした。(Bing)
囲碁の殿堂入りしたのは、ほかに第1回の特別創設記念表彰として、江戸幕府を開いて囲碁を奨励、発展させた徳川家康、第14回の正岡子規、第15回正力松太郎、第17回藤沢秀行らが名を連ねている。
棋戦 | 優勝賞金 | 主催 | 創設年 | 挑戦手合、持ち時間 |
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棋聖戦 | 4300万円 | 読売新聞社 サントリーホールデングス (特別協賛) | 1976年 | 7番勝負、8時間 |
名人戦 | 3000万円 | 朝日新聞社 明治(協賛) マニフレックス(協賛) | 1974年 | 7番勝負、8時間 |
本因坊戦 | 2800万円 (79期から800万円) | 毎日新聞社 大和証券グループ(協賛) | 1939年 | 7番勝負、8時間 (79期から5番、3時間) |
王座戦 | 1400万円 | 日本経済新聞社 | 1952年 | 5番勝負、3時間 |
天元戦 | 1200万円 | 新聞三社連合 | 1974年 | 5番勝負、3時間 |
碁聖戦 | 800万円 | 新聞囲碁連盟 | 1975年 | 5番勝負、4時間 |
十段戦 | 700万円 | 産経新聞社 大和ハウス工業(協賛) | 1961年 | 5番勝負、3時間 |
参照: 日本棋院・国内棋戦
コロナ禍で参加者が少なかったが、この日は24名となって少々部屋が狭い
1階エントランス